いつも二人で放課後ぶらぶらしている男子高校生がいる。
なにをするでもなく教室や図書館の外のベンチでしゃべっている。
「お前らセトウツミみたいやなあ」
なんですか、それ。
声も出さずに顔だけで返事してくる二人に
「セトウツミ」が何なのかを教えてあげる。
「セトウツミ」は、青年(少年?)マンガのタイトルで、
瀬戸と内海という二人の男子高校生が河原でおしゃべりをするだけのマンガ。
二人以外に登場人物はあまり出てこず、
二人が河原を離れることもあまりない。
ただただ二人が会話するだけで話は進んでいく。
関西高校生のおしゃべりだけで単行本8巻・60話以上を作った作者は
もっと褒められていいと思う。
ツンツン頭の瀬戸はサッカー部を辞めた明るい人気者で、
内海は誰とも馴れ合わない冷めたメガネ。
実写化された際の映画の特報では、
「ケンカもない部活もしない放課後の無駄話」
というテロップが付けられていたが、
本当に彼らは何もしない。
会話の中身もほとんどない。
ただ、中身のない会話をずっとできるのは、
二人の発言の視点が噛み合っている証拠。
そうでないと、内容のない会話なんて続かない。
それを人は、ノリが合うとかツボが一緒とか
グルーブが合うとか馬が合うと呼ぶが、
大人の仕事場には、
要件がなければ一切口を開かないような人もいて
中身のある会話だけしか聞こえない職場ってのもあるので、
内容がないにもかかわらずずっとしゃべれる関係があるってのは、
けっこうラッキーなことでもある。
大人になればなるほど、人は要件だけを話すようになる。
「セトウツミ」の瀬戸と内海は関西の高校生なので
会話も、ボケとツッコミの応酬で進んでいくが、
僕の目の前にいるリアルセトウツミは山陰人なので、
ボケもツッコミもなく
ただただ、本当に、中身のない会話をぐだぐだと続けていく。
第三者には5分と聞いてられない中身のない会話を、
リアルセトウツミたちは、これから、図書館のベンチで数時間続けていく。
馬が合うというのは、なんと喜ばしいことか。
その、何一つ有用なものを生み出さない、
かけがえのないだらだらした数時間を大切にしてほしい。
そういう時間が、今後、「自分」というものを建てる時の土台となっていく。
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