高校生のプロジェクト発表会というものが大阪であり、
山陰に住む高校生を電車で大阪まで引率することになった。
彼らはもう高校生だというのに、電車の乗り換えをしたことがないどころか、
切符さえ買ったことがない子もいて、驚く。
山陰は交通のアクセスが悪く、電車の本数も少ないので、
外に出ること自体が少なく、出るとしても、車でということが多い。
自分が高校生の頃だって、周りにそんな子はいたのかもしれないが、
やっぱりそれではウブすぎると思ったので、
彼らに目的地と到着時間を伝えて、
「自分たちで調べて行け」と、引率するのを止めた。
大人に連れられて出かけても、なにも生まれない。
僕は、後ろからついていきながら、
「はじめてのおつかい」のカメラマンみたいだなと思った。
切符も買ったことのない子たちは、案の定、
大阪での乗り換えや、地下鉄の路線の多さにとまどい、
何度も間違った道を行ったり来たりしている。
今の時代はスマートフォンがあるので、
乗り換え自体を間違うようなことはなく、
「はじめてのおつかい」に比べればなんのドラマも生まれないが、
それなりに「はじめての」とまどいはある。
行くべき場所がわかっていても、それがどこにあるのかわからないとか、
そもそも表示されている駅名が読めない、とか。
スマートフォンで「3番線」と表示されていても
「3番線」が見当たらない場合は、人に聞くしかないのだが、
彼らは、人に聞くまでに時間がかかる。
掲示板の前をウロウロして、なかなか言い出せない。
わからない時は、早く聞くのが一番なんだけどなあ。
ただ、どこまで自分で調べて、どの時点で人に聞くかは、
大人の中でも意見がわかれるところではある。
わからないとすぐ人に聞く人もいるし、
なるべく自分で調べようとする人もいる。
その考え方のちょっとした違いは、
右も左も分からない海外では、ケンカの種になりやすい。
どうにか自分で調べてみようとする男と
「とりあえず誰かに聞きいてみなよ」と言う女。
この場合、自分で調べて進んでみた道が間違っていたりすると、
男は文句を言われることになる。
しかし、人に聞いて進んでみた道が間違っていても、
女は文句を言われず、道を教えた人に文句が向けられるだけ。
経験的には、自分で調べず、人に聞いた方が、
自分の責任は回避できると考えている。
ただ、海外では、誰に聞くかというにも大きなポイントで、
道行く人と、駅員さんと、売店の店員では、
その答えの信憑性に大きな違いがある。
売店の店員さんに聞く場合でも、
ものを買ってから聞くのと、買わずに聞くのでは、
答えに大きな違いが出てくる可能性がある。
海外では、「人に聞くか」「自分で調べるか」の後に、
「誰に聞くか」「どう聞くか」が待っている。
ただ、日本では、道行く人はみんなやさしいので、
そんなに間違ったことは言わないはず。
ウロウロしないで、とりあえず、誰かに聞いてみろよと、
初めてのおつかいのカメラマンは彼らの背中を見ながら思う。
その後、無事着いた会場は、一階にスタバが入ったきれいなオフィスビルで、
プロジェクトの発表は、そのビルの8階で行われた。
座り心地のよさそうなソファが配置してあるオフィスビルの中で、
大人が作ったプログラムに沿ってやる発表は、
よくも悪くも、きちんと準備されたものだった。
それに比べて、オフィスビルに向かうまでの道中は、
たどたどしくも、彼らが手探りで探り当てる道程。
僕がみたいのは、お膳立てされていない場面において、子どもたちがどう動くか。
大人にプログラムされたものの外で、どう考えるかなのだ。
海外だと、それがもっと顕著に見られるからいいんだけどな。
次の「おつかい」先は、外国かな。
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