もう新年も一ヶ月が過ぎた。
今年の正月は、甥が小学二年生になり、
足が速くなってきたということだったので、
実家に集まった者たちで、かけっこをすることになった。
甥から母親まで年齢差60歳の50M徒競走。
世代の違う者たちの真剣50M走勝負は、正月らしい「平和の祭典」で、
トップ走者と最終ゴール走者のタイム差が、
ホノルルマラソンくらい開いていたが、
年齢制限なし、オープン参加の大会なので、しょうがない。
家の近くの広場で、そのスポーツの祭典が行われていた時、
広場の隅で一人、一輪車の練習をしていた小学生がいた。
平和の祭典はオープン参加の大会なので、
その子にも「一緒に勝負しゅうか?」と声をかけて、
一緒に走ることになった。
一番でもドベでもなく、何番目かで走り終わったその子は、
参加賞なのかなんなのか、うちの親から、ぽち袋に入ったお年玉をもらっていた。
いくら入っていたのかは知らないが、
お正月に出会った縁としてもらったお年玉を、
その子は「もらえない」と、必死に返そうとしていた。
しかし、「もらえるもんはもらっとけばいい」という、
大人たちの意見に押されて、しぶしぶお年玉を、懐にしまっていた。
そんな話を正月の出来事として知り合いに話すと、
「一輪車持ってでかけていった息子が知らない人にお年玉もらって帰ってきたら、
俺なら怖いから、”返しこい”って息子に言うけどね」と、
彼は、4杯目の黒霧島を飲みながら、言った。
確かに、名前も知らない、見たこともない人たちと、
一緒にかけっこしたからお年玉をもらったなんて、
よくわかない話だ。
しかし、正月とはそういうもの。
正月は、誰にでも訪れるハレの日であって、
その人が善人だろうが悪人だろうが関係なく、すべての人にやってくる。
欧米のクリスマスと日本のお正月は、
誰にも、平等に良きことが訪れて良い日なのであって、
わけもなく金をもらっても、気にしなくて良い日なのだ。
その子と同じく、僕らも、小学生の頃、
あまり面識のないおじさんがジュースやお菓子をおごってくれると、
そんな親切を受けていいものかどうか、まごまごした。
その時、まごついている僕らをよそに、そのおじさんたちは、決まって
「子どもが遠慮すんな!」と言った。
子どもを物騒な世の中から守ろうとする親の見方もわからないではないが、
子どもがお正月に、遠慮する必要はない。
貰えるもんは貰う。
地域社会のつながりの薄くなった現代でも、
お正月くらいは、警戒を緩めて、人と接してもよいのではないでせうか。
お年玉目当てに、来年の正月の広場に、
たむろする子どもが増えるくらいの図々しさが、
子どもたちにはあってもいいと、個人的には思う者なり。