食品会社の日清が、プロテニスプレーヤーの大坂なおみをアニメーションで描く際、
白人のような、白い肌に描いてしまった問題で、謝罪した。
世界的な企業である日清が、なぜこんなミスをしてしまったのかわからないが、
多分、アニメを請け負ったのは、日本の会社なのだろう。
日本のアニメのキャラクターには、
「人種」という概念があまりない。
アニメの世界は「架空の世界」であって、
日本のアニメには、現実世界のリアリティが、
あまりアニメの中に持ち込まれなくてよいことになっている。
例えば、世界的に人気がある「ナルト」にも「ワンピース」にも、
金色の髪のキャラクターが出てくるが、
読者は誰も、そのキャラクターが西洋人だとは思わない。
黒髪であってもアジア人だとは思わないし、
髪型がアフロでも、アフリカの方のキャラかな、とは思わない。
それは、「ナルト」や「ワンピース」のように、
特殊な能力者が出てくる、特別な世界を舞台にしたアニメだけではなく、
日々の生活を描くような、”日常”が舞台のアニメであっても、
私たちの社会に当たり前に存在する、
人種や宗教、肌の色は、アニメに反映されていない。
そして、それを見る視聴者も、
そこになんの違和感も覚えない。
日常系アニメの代表格「ちびまる子ちゃん」に出てくる杉山君は、
日本人にしては、明らかに髪が茶色がかっているが、
誰も、「杉山君のお父さんは外国人かな」とは思わない。
「ヒカルの碁」の主人公のヒカルは、前髪だけなぜか金髪なのだが、
そのことに引っかかって、
「将棋が強いとか弱いとかの前に、その前髪は、なんなんだ!」と、
いちゃもんをつける人はいない。
日本のアニメにおける、髪の色や肌の色は、
アニメの演出上の領域であって、
キャラクターの出自をほのめかす要素ではないのだ。
肌の色なんてどうでもいい。
むしろ、肌の色がそれぞれ違うと世界観がぶれる。
そう考えて、我が国のアニメーターは、
両親が日本人の錦織圭の肌の色も、父親が黒人である大坂なおみの色も、
まったく同じに描いてしまったのかもしれない。
キャラとしての髪型や服装はよりデフォルメしたいが、
些細な肌の色の違いなんて、ないようなもんだ、と思って。
制作過程のアニメーションを見ていたはずの他の制作スタッフたちは、
大坂なおみの肌の色を見て、なにも指摘しなかったのだろうか。
もし、何も指摘がなかったとしたら、
それは、日本の制作現場にあまり、
マーケティングの視点が入っていなかったからかもしれない。
作品ごとに視聴者のことを強く意識するようなディズニーアニメなら、
すぐに、「これ、黒人の視聴者からクレーム来ますよ」と、
誰かが指摘しただろう。
ディズニーはマーケティングの鬼なので、
世界中の視聴者を意識して、
アニメーションの主人公を、黒人、アジア人、アラブ人、ハワイアンと、
世界各地に分散させている。
見ている人が感情移入しやすいように、
主人公や舞台の設定を細く決めているディズニーは、
主人公の髪の色も、黒や赤や茶色やブロンドと、バランスを取ろうとしているが、
それでも、
「有色人種の主人公の数が、全体の3割を切っている」と、
白人至上主義ぶりを批判されたりする。
そんな社会で作られているアニメーションと比べ、
日本のアニメは、見た目の違いを生み出すためだけに、
キャラクターの髪の色が決められたりするような、
人種としての外見に、意識の低い社会で作られている。
昨年末には改正入管法が成立し、
これから、ますます多くの外国人が日本にやってくると思うが、
それにより、日本のアニメも、
肌の色や髪の色に関する意識を高めなければいけないのかもしれない。
それは、アメリカのような多人種国家ではすでに当たり前のことかもしれないが、
日本は、これからなのだ。
日清のような世界的企業でもミスをしたということを教訓に、
社会全体で、意識を高めていけばいいだろう。
そうすれば、5年後には「ちびまる子ちゃん」のクラスに、
ブラジル人の友達や、日本人とフィリピン人とのハーフの友達が加わっているだろうし、
その友達の肌の色は、現実に即した色になっていることでしょう。
(そして、その時には、もう「ハーフ」とは呼ばれていないでしょう)