サッカーのアジア杯は準優勝で終わった。
準決勝の対イラン戦が完璧な試合だっただけに、
残念さが残る大会になったが、
ロシアワールドカップから、世代交代を図っている段階のチームとしては、
収穫も課題も見えた大会だったのだからいいのかもしれない。
森保監督が指揮を取るようになって初めての国際大会だったが、
森保監督のサッカーは色が見えないというか、
特定の戦い方を持たず、相手をスカウティングした上で、
戦術を組み立てているようにみえる。
自分たちの戦い方でなく、相手に合わせた戦い方ができるというだけで、
「自分たちのサッカーとはなんなのか」と自問自答していた一時期の日本代表よりも、
何歩も成長しているのではないかと、思う。
相対的弱者は、一つの戦法でしか戦えないが、
相対的強者は、引き出しをいくつも持っている。
ただ、相手に合わせて戦術を変えたというのは「アジア」での戦いの話で、
「世界」を相手にした時には、
相手を受けとめる「横綱相撲」は取れなくなる。
相対的に、弱者の立場となる世界との戦いでは、
相手に合わせるというより、相手に合わさざるを得ない戦いが増えてくる。
それは、戦術が「後手後手に回る」ということで、
相手に合わせた「対応」が必要になってくるということ。
そうして相手への対応から戦術を考えていくと、
どうしても「守り」から入ることになる。
サッカーではなく日本の野球は、
どの年代であっても、まず、「守り」から入る。
少年野球でも高校野球や社会人野球でさえも、
練習時間は、攻撃よりも守備に割く時間の方が多く、
「打って勝つチーム」より「守って勝つチーム」の方が圧倒的に多い。
(プロ野球は、「攻め」と「守り」が分業制なので、話が別)
「打撃は水もの」と言われ、
相手投手の出来によって、好不調が左右される「攻め」よりも、
ミスを減らせば確実に少失点に抑えられる「守備」を、
どこのチームも、強化しようとする。
弱小チームであっても常勝チームであっても、
日本の野球は、「守り」から入るのが鉄則。
それは、「派手な一発」を狙わずに、ミスを減らしながら、
確実に皆でつなげていくスタイルが、日本人に合っているからだろう。
それは、野球に限らず、バレーでもバスケットでもサッカーでも同じ、
すべての日本のチームスポーツに通じる、国民的スタイルだと僕は思っていた。
だから、以前、日本サッカーが、W杯で、
「自分たちの(攻撃)サッカーを貫くべきか」、
「弱者として、守るサッカーをすべきか」という議論を起こした時、
僕は、日本人なのになぜ、堅実な「守り」から始めないのかと、訝しく思った。
ただでさえ日本はサッカー後進国なのに、
なぜ、攻めから入ろうとするのか。
それは、戦力の揃っていない公立高校の野球部が、
「フルスイング野球」で甲子園に行こうとするようなものではないのか。
それは、無謀ではないか。
そのことを、高校でサッカーを教えている人に言ってみると、
接触プレーのあるサッカーとない野球は、考え方が違うと言った。
人と人が接触するサッカーでは、フィジカルの差が如実に現れるので、
体格で劣る日本人は、相手に接触しない場面でのプレーで勝負しようとする、と。
そういえば、日本のバレーボールの特徴は、レシーブとサーブにある。
これもスパイクやブロックなどの、ネット際の「インファイト」では
世界の強豪には太刀打ちできないからで、
サーブやレシーブのような「アウトファイト」で勝負しているからだろう。
バスケットでも、ゴール下などのフィジカル勝負よりも、
スピードやミドルレンジからのシュートで、代表チームは世界に対抗しようとする。
そう考えると、日本のスポーツに見られる特徴というのは、
「まず、守りから」ではなく、「確実にプレーしよう」なのかもしれない。
日本の野球が、エラーに厳しいのも、四球を出すことを許さないのも、
バントを多用して得点圏にランナーを進めるのも「確実性」を好むからだ。
サッカーにおける「確実性」は、なによりも「パスをつなぐこと」で、
何本に一本決まるか決まらないかのシュートよりも、
確実につながるパスを、まず第一に重要視するのだろう。
日本サッカーの父と言われるクラマーが、当時の日本代表に、
「インサイドキックの正確さ」をしつこく丁寧に教えてくれた、というエピソードが
今も語り継がれていることからも、それは伝わってくる。
ミスを減らし、確実にプレーしようという日本人の指向は、
どんなフィジカルを持つ相手に対しても、
ある程度、試合が作れるチームを作るという利点がある反面、
試合は作るが、試合を決めきれないという弱点も作り出す。
バントで得点のチャンスを何度作っても、残塁の山を築く攻撃や、
ペナルティエリアに何度入っても、シュートを決めきれない攻撃などは、その典型。
そういえば、日本サッカーの長年の課題は「決定力不足」だった。
試合に勝つという目的のために選択した、
「確実なプレーをする」という指向が、
本来の目的を差し置いて、目指すべきものになってしまうのは、
日本スポーツの陥りやすい弱点でもある。
「正確性」を重視して確実にプレーする部分と、
リスクを犯してでも点を取りにいく部分のバランスを保つのは「賢さ」で、
その「賢さ」は、そのスポーツ界全体が重ねてきた経験値に影響される部分が大きい。
サッカー日本代表の、アジア大会でのプレーを見ていると、
「自分たちのサッカー」というワードが出ていた時代とは変わり、
勢いや「らしさ」ではなく、冷静に、淡々と結果を出せる代表になったように見えた。
「自分たちらしさとは何なのか」という、自問自答の青春期を経て、
相手との関係の中で自分がすべきことを考えられるようになったサッカーの代表チームは、
確実に、成長している。
アジア杯は捕れなかったが、その成長が感じられただけで、
将来に期待が持てる大会だったのは確かだろう。