「人間はその個性に合った事件に出会うものだ」
そう、小林秀雄は言ったと、向田邦子が『父の詫び状』に書いていた。
では、あなたも、しばし思い出してください。
あなたの人生に起こった「事件」とはなんですか。
一番最初に思い出した、その事件こそが、あなたの個性を説明する事件です。
そう、頭の中の向田邦子が僕にも語りかけてきたので、
僕は過去に思いを巡らせた。
そして 、まっさきに思い出した過去の事件が、
「寝て起きたら目の前のアパートが焼け落ちていた」という事件で、
「寝て起きたら目の前のアパートが焼け落ちていた事件」が僕の個性を説明するだなんて、
どういうことだよと思ったが、
思いついたものはしょうがないので、少し考えた。
その事件は、一言で言うと、
「起きたら目の前のアパートが焼け落ちていた」という話なんだけど、
二言で言うと、
「起きたら目の前のアパートが焼け落ちていて、
上の階に住む大家さんに「なんで目の前のアパートないんですか」って言ったら、唖然とされた」
という話で、辺り一帯が火事で大騒ぎになって、
アパートが全焼するまで燃え続けたのに、
僕は一度も起きずに朝を迎えた。
そんな話が僕の個性に合う事件なのだとしたら、
僕の個性は、一言で言うと、
「我関せず」ということだ。
死ななかったからよかったようなものを、
みんなが火事でわいわいしている時に、一人蚊帳の外なんて、悲しい話。
「我関せず」なんて、悲しい話。
火事がおこっても、自分は寝ている。
それは、社会と自分が交わらないということ。
昭和以前に生きた人たちの文章を読んでいると、
学生紛争やベトナム戦争、終戦や二・二六事件などの
社会的に大きな事件に、強い衝撃や影響を受けていることがわかるが、
平成以降、「大きな物語」がなくなった後の時代に生きる僕らは、
社会的な事件に直接影響されることが少ない。
その中でも自分は特に社会に影響されていないのかもと思うと、
悲しみしかない。
「9・11」がおこった時アメリカにいたのに、
「3・11」がおこった時日本にいたのに、
自分の根底がそれによって揺さぶられることがない。
社会と自分は別々。
非交感。
デタッチメント。
それは個性と言うより時代の話なのかもしれないが、
まだ自分の個がいまより定まっていなかった10代の頃、
もっと自分は社会に影響を受けていたように思う。
神戸で「酒鬼薔薇聖斗」の事件がおこった時、
佐賀で一つ上の高校生がバスジャック事件をおこした時、
全国で「17歳の犯罪」が紙面を賑わせていた当時、
16歳だった僕は、
「あぁ、僕は17歳犯罪世代なんだ」と
自分が生まれた時代の暗さに気が滅入った。
自分たちの世代は、明るくないのだ。
すぐにキレて刃物を取り出す子どもたちを、
大人たちが、用心しながら触れていた時期だった。
そんな社会の空気を敏感に感じる思春期を抜けて、
社会と自分の間に自分なりの壁を作れるようになり始めた20代の半ば頃、
テレビの中で、秋葉原で起きた通り魔事件が映されていた。
2001年以降、各国で政治的なテロが起こっていたこともあり、
秋葉原でも国際的なテロが起こったんだろうなとテレビを眺めていたら、
犯人は、僕の一個上の日本人、「17歳犯罪世代」だった。
高校生の頃、あのヒリついた空気の中で学校生活を過ごした男が、
10年遅れで、刃物を手にしていた。
事件発覚後、メディアは犯人の孤独な生活状況を報道していたが、
僕は、それよりも、思春期の頃の社会の空気感が彼に影響を与えた部分が多いのではないかと思った。
ある作家は、第二次世界大戦後、軍国主義から民主主義へと、
急激に社会の価値感が変わる中で思春期を過ごした世代の中に、
世界的な科学者が多くいることを指摘していた。
彼らは、世の中の常識が一夜にして変わるのを目にしながら、
「変わらないもの」を探し、それを「科学」の中に見出したのだという。
当時、民主主義や経済復興に希望を見出した人たちが多い中で、
科学に「答え」を見出した人がいたというのは、
人が社会からどう影響を受けるかは人それぞれに違う、ということを教えてくれる。
「17歳犯罪世代」に生まれた人が、
全員同じようなかたちで社会から影響を受けたわけではないだろう。
ただ、敏感に社会からの影響を受ける思春期に、
自分の「我関せず」という性質が、
そういった負の社会的影響から守ってくれた面があるとしたら、
それは良しとしたいところ。
だが、社会の空気が暗かったことで
「我関せず」という性質が自分の中にできあがったのだとしたら、
それは、やはり悲しいこと。
次の火事のときはまっさきに起きたい。