「集会」と聞いて浮かべる光景によって、その人が生きてきた世界がわかると言うと言いすぎだろうか。
おそらく言いすぎであろう。
そうだとしても、この社会には、様々な「集会」がある。
学校で言うと「全校集会」「学年集会」があり、新興宗教をやっている人にもネズミ講をやっている人にも「定期集会」がある。
老人会にも、大学生のサークルにも、父母会にも、もちろんあらゆる企業にも、「集会」はある。
人はありとあらゆる集まり方をして話し合いを重ねるが、僕が「集会」と聞いてすぐに思い出すのは、学校でもサークルでもなく「暴走族の集会」である。
もちろん善良な青少年時代を過ごしていた僕が、暴走族の集会に顔を出していたなんてことはなかったが、ある友達が行っていた暴走族の「集会」が「集会」としてのインパクトが強く、「集会」といえば、暴走族がまず頭に浮かぶ。
その中学時代の友達は、親が両親とも学校の先生という教育的に厳しい家庭に育った。
そのため、兄と弟、二人して見事にグレ、「教育と育児はまったく違う」ということを端的に示す格好の例となった。
まっすぐにグレていたその友達は、中学の頃から、当時の不良の正規ルートである暴走族に参加し、バイクをブンブンいわせていた。
そうして、一方では、正しい不良の道を歩んでいながら、親が教育者であるという呪縛からは抜け出し切れておらず、不良ながら、進学塾には通っていた。
いま思えば、あいつは、「インテリ系不良」を目指していたのかもしれない。
本心では塾などに行きたくない友達は、いつも、ぼくと塾に向かう電車の中でどうにか塾をサボりたがっていた。
なんせ、自分が塾で勉強している間、不良の友達は暴走族の集会に参加しているのだ。
そして、どうしても気持ちが抑えきれないと、その友達は、駅で僕に別れを告げた。
その時の決り文句がいつも決まっていて、
「ごめん。ちょっと集会行ってくっけん!」
そう言って、そいつは闇夜に消えていった。
その時、僕は始めて、暴走族にも「集会」があるということを知った。
そして、荒くれ者の暴走族も民主的な話し合いをするんだなと感心した。
そうしてその友達は集会に向かい、僕は塾に向かったのだけれど、塾の先生から親に連絡が行くのか、数回に一度は、塾の授業が終わる前までに、とぼとぼと塾に舞い戻ってきていた。
携帯電話も持っていなかった時代、あいつの親はどうやって友達を集会から連れ出したのだろう。
まさか、暴走族の集会に乗り込んで引っ張ってきたのだろうか。
そもそも、集会がどこでやっているのか、なぜ親は知っていたのか不思議でもある。
いや、でも、そんなに不思議でもないか。
兄ちゃんも同じようなものだったことを思えば、親にとってはまたかという話である。
慣れたものだったのかもしれない(慣れてるなら更生させろよとも思うが)。
真っ暗な夜の公園でバイクを唸らせながら集会に参加するつもりだったのに、その友達は、白い蛍光灯に照らされた、チョークの音だけが響く部屋で、数学の問題を解かされることとなった。
不本意な送還。
観念して着席。
ぼくが視線で、「おまえ結局連れ戻されとるやん」とつぶやくと、彼は肩をすくめて応答した。
そして、「授業を聞いていれば解ける」と先生が言った難関私立の過去問を、授業に出ていないのに、そいつは一番に解いていた。
誰よりも数学に長けていたやつだった。
生まれながらの才能はある。
そう初めて意識したのは、その時だった。
そして、同時に、やらなくてもできるんなら、別に暴走族の集会に行っててもいいんじゃないかとも思った。
塾ってのは、できないやつが来るところだろうよ。
先生の解説も聞かず、授業に途中参加したやつが問題を早々に解いたことで、授業は変な感じで終わった。
先生も立つ瀬がなかったろう。
塾から出ると外は真っ暗で、帰りの電車を待つ間、4,5人で固まって、駅のコンビニの裏でカップヌードルを食べた。
そこで話す内容は、「カップヌードルはどこまでお湯を入れると一番おいしいか」や「何分何秒でフタを取るのが一番よいか」など、今思えばしょうもなかったが、「新日」と「全日」の違いや「安田記念」と「有馬記念」の違い、「スカジャン」と「スタジャン」の違いを知ったのも、そこでの会話だった。
それは、田舎の夜の駅に電車がやってくるまでの、短く健全な、中学生の集会だった。