「人相が悪い」
人はそう言って、人を顔で判断することがあるが、その判断はどれほど正確なのだろうか。
他の国でも「見た目」で判断することはあるだろうが、「人相が悪い」とは、「悪そうな見た目」をしているというより、「悪い顔」のことである。
人として「正しい顔」があり、そこから外れている顔を指すくらいの否定が、「人相が悪い」にはある。
ただ、「顔を見ればわかる」という言い方は、危うくもある。
目に見える部分だけで全体を推測するなんてことができるのであれば、「魚の食べ方を見れば(その人が)わかる」「カラオケでのマイクの持ち方を見れば(その人が)わかる」など、なんとでも言える。
その人とわかりあおうとする前に「見た目」だけで拒否することは、あまり褒められたことではない。
それでも、「人相が悪い」や「顔をみればわかる」という表現に一定の確かさを認めてしまうのは、日本人が「見ること」に相当、重きを置いているからだろう。
民藝の創設者・柳宗悦は美を見抜くために「直観」の重要性を説いたが、直観が現れる場面の一つとして、柳は、「初対面」を挙げた。
初対面での印象は、その人の本性を伝える。
なぜなら、そこには、余計な情報や、「この人をこう見たい」という思惑がないからだ。
明治時代にヨーロッパに留学した作家が、ふとショーウィンドウに目をやると、サルみたいな姿が見えて、それがガラスに映った自分だったというエピソードは、思惑なしに見た「本当の」自分の姿であったことだろう。
子どもに対し、「人を見た目で判断してもいいよ」とは教えられないが、「人の本性は顔に出る」と、多くの大人は思っている。
本性が顔にでるのは、大人だけでなく子どもだってそうだが、やはりそう言ってしまえば、子どもの「可能性」を、(マイクの持ち方と同じくらい)勝手な思惑で閉ざすことになっていまう。
人相でその人を判断していいのは、一般的に「己の顔に責任を持て」と言われる四十歳を過ぎてからにすることとしよう。