ファスト消費

「ファスト消費」って言葉があって、最近の人は、映画を1.5倍速で見たり、セリフのないシーンを飛ばしたり、本編は見ずにあらすじだけまとめた動画を見たりするらしい。
らしいというか自分も前から早回しでニュース動画を見ていたので、その気持はよくわかるが、ただの情報摂取先でないはずの映画までも倍速で見るというのは、映画もただの情報でしかないということなのだろう。

その「待てない人々」的な見方は、「だから最近の音楽のイントロは短くなった」とか、「最近は小説が読まれなくなった」と言われることにつながる。
それは確かにそうで問題ではあるんだけど、「時間がない人のためのサクッと消費」みたいなのは、「マンガで読む哲学書」とか「10分で読める名著」とか「教養としての古典作品要約」とか、昔からあって、でも、哲学書がマンガになるんであれば最初から哲学書である必要はないし、名著が10分で読めるんであれば、最初から薄い本として出版されていたはずで、小説でも映画でも、表現されたものは、あらすじや要約だけでない部分に本質があるんだから、そこだけファストにかいつまんでも、それで作品を理解したことにはならない。
というか、映画とか小説とか哲学書でさえも、理解するものではなく味わうものである以上、時間を惜しんでどうするとも思う。
短い時間で速く理解することが目的なら、世のほとんどのラブソングは、聴く必要なんかなくて、「告白の歌」として理解してればいいし、ゴッホの「ひまわり」もモネの「睡蓮」だって、「花の絵」として要約していればいい。

そうはいうものの、人が一つの作品に時間をかけて向き合えなくなっているのは事実で、聴ける音楽の数が増えれば、人は一つの歌を大事にしなくなるし、観れる映画の数が増えれば、人はスキップしながら片手間で見るようになる。
日常にこれだけ溢れる作品群の中で、一人の人間を2時間も3時間も集中させ続けるのは難儀になってきており、ヨーロッパのサッカー関係者は「今の若者はサッカーの前後半をちゃんと見れなくなっている」と嘆いていたので、人を興奮させやすい90分のスポーツでもそうなら、小説なんか、誰も読まなくなっていくんだろうなと感じる次第。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次