オシャレな人というのは「サイズ感」がわかっている人だという言い方を聞いたことがある。
なるほど。
オシャレな人は、服のデザインや色ではなく、サイズ感を間違えていない。
「入ればOK」で済ましている自分を思い返す。
オシャレな人は、その服をジャストサイズで着たほうがいいのか、多少ピタッとしたサイズで着たほうがいいのか、それとも、多少ダボッと着たほうがいいのかをわかっている。
服に合わせて、トレンドに合わせて。
それと同じように、言葉をオシャレに使える人は、「言葉のサイズ感」を間違えない。
言葉を、物事そのものの大きさで語ったほうがいいのか、多少控えめに語ったほうがいいのか、それとも、多少は大げさに語ったほうがいいのかを熟知している。
人に合わせて、場面に合わせて。
ただ、オシャレな人の、意図的で操作的なオシャレが時に鼻につくように、
「言葉のサイズ」を意図的に変えられる人の言葉も時に耳につく。
「サイズ感」という言葉など聞いたことないかのように、人からもらった短い半纏を防寒のためだけに羽織って勉強している人や、兄姉からもらったパーカーの袖をまくりあげてボールを追いかける少年は、オシャレとは無縁だが、他人からの視線に無頓着であるゆえに、信用に値する。
服や言葉を、「場合に合わせてAでもBでもCでも着こなせますよ」という人は、その有能さゆえに、信頼できないことがある。
人は「できるから頼れる」わけでも、「できるから惹かれる」わけでもない。
オシャレな人は世の中に彩りは添えるが、
そのことと信頼とはまた別の話である。