「中途半端」と「グッドバランス」

「話が抽象的だなあ」と誰かが言った時は、
たいがい、「抽象的」でなく、「あいまい」なだけだ。
「あいまいな話」と「抽象的な話」は、
雲をつかむような話という意味では似ているが、
似ているだけで、まったく違う。
「あいまいな話」は、要領を得ない話のことで、
「抽象的な話」は、大きな視点でものを見る話のことだ。
具体をきちんとイメージできる人にとっては、
「抽象的な話」は、なによりも、要領を得る話。
こんがらがって、あいまいになっちゃった人が、
「抽象的な話」をすることは、まずない。

それと関連していうと、
「バランスがとれている人」と「中途半端な人」も、同じ。
頭と心(論理と良心)のバランスがとれている人と、
頭も心(論理も良心)も中途半端でしかない人は、一見、似ている。
似ているけど、違う。
「バランスが取れている人」は、
頭で考えられることの限界を知っているし、
心でどうにかできることの限界を知っている。
そして、厳密には限界を知らないということも知っている。
だから、考えるべき時にはいろんな方面からしっかり考えるし、
人をいたわる時には、ただただ側にいてくれたりする。
「バランスが取れている人」は、
自分がやれることとやれないことをわかっている。

それに対して、「中途半端な人」は、
自分は考えることができると思っているし、
自分は優しいと思っている。
もうそれに対しては答えが出ているので、
自分がどこまで考えることができて、
どこまで人のことを思えるのかを知ろうとしない。
だから、自分の考えを人に当てはめようとするし、
自分の優しさを人に押し付けようとする。
どっちも「中途半端な人」は、
自分がやれることとやれないことをわかっていない。

ただ、そのふたつ、
「中途半端」と「バランスが取れている」は、
よく似ている。
「中途半端な人」と「バランスが取れている人」の言葉は、
字面だけ見ると、そっくりだったりする。
似て非なるものは、見極めが難しい。

「中途半端」と「バランスが取れている」の二つに分けると、
誰しも、バランスの取れている人を評価するが、
誰もが、初めから「バランスが取れた人」になれるわけではない。
経験の中で、中途半端な状態から、
自分の考えの浅さを知り、
自分の優しさの浅はかさを知って、
徐々に、バランスの取れた人間になっていく。
自分ってなんに関しても中途半端だな、
自分って、浅瀬でパチャパチャ遊んでるだけだな。
そういう認識を持った人だけが、
徐々に、バランスの取れた人間になっていく。
たぶん、誰しもが、「グッドバランス」への途上にいる。

 

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