現役の高校生と以前高校生だった人に送る、素敵な本の紹介。
表題本以外の話にふらふら寄り道、
道草食いながら、あれこれお話します。
そういえば前回書いた、クリスマスのタクシーのエピソードは『父の詫び状』ではなく『夜中の薔薇』というエッセイ集に入っている話でした。今回は『父の詫び状』を紹介する回です。『父の詫び状』の話をしなくてはいけません。
『父の詫び状』は、妻に対して亭主関白で、子どもに対して権威を押しつけてくる向田さんの父親が主題として描かれています。「背中をかけ」と妻に命令し、麻雀の相手を子どもにさせ、痴漢を捕まえた娘を「女のくせにみっともない」と叱る父。自分のカレーだけ特別に家族と別鍋で作らせていた父。
今では信じられないかもしれませんが、父親が偉くあること、家父長然とすることが家庭の中での父親の役割だった時代があったのです。向田さんの父親は、絵に描いたように偉そうな父親でした。そんなエピソードの一つに、こんな話が載っています。
お酒を飲むと上機嫌になる向田さんの父親は、よく手土産を持って帰宅しました。夜遅く帰ってきた父親は、子ども達に寿司を食わせてやるとばかりに、寝ている子ども達を起こします。「可哀想だから寝かせてやったほうがいいよ」と言う祖母を横目に、父親は、寝ぼけ眼で寿司を頬張る子ども達を鼻歌交じりに眺めます。
ある夏の日、深夜に折詰片手に帰ってきた父親は、「子どもたちを起こせ」と言いますが、夏場だったこともあり、「疫痢にでもなったら大変ですから」と母親が止めます。それに機嫌を損ねた父親は、「じゃあ、食わせるな」と、庭に寿司を投げ捨ててしまいました。
翌朝起きてきた向田さんは、庭に散乱したままの寿司と、ムスッとしたままの父を見るのでした。
時代は変わりましたね。今、こんなお父さんに付き合ってあげる家族があるでしょうか。父親が機嫌を損ねて寿司を庭にぶちまけても突き放さず、「背中をかけ」と言われたら、「はいはい」とすぐに妻がかいてあげる家族があるでしょうか。もしあっても、その父親は、「モラハラ(モラルハラスメント)」と世間から言われそうです。
父親としての威厳を見せつけたい向田さんの父はさぞ得意げだったでしょうが、偉い人というのは、偉いことをさせてあげてる人がいて初めて偉くなれます。社長も先生も総理大臣も「さすがですね!」という人がいるから、一段高い場所に立てるわけで、その人達なしではドン・キホーテかドン・ガバチョなのです(滑稽なくらい威張っている人達の例です)。
そういう意味で、向田さんや向田さんの家族は、父親に父親の役割をさせてあげていたと言えます。あの時代、周りが父親の役をさせることで、父親は父親として振る舞えていたのです。
–2016/06/23−
<次につづきます。>