
お茶の稽古に毎週通っていた時期がある。
 教えてくれたのは、本業が坊さんの厳しい先生で、
 基本、いらんことをしゃべらない。
 歳は60の中盤くらいだと思うが、自分のことを話さないので、よくわからない。
 僕が手前をしている(お茶を点てている)間、
 先生がこちらをじっと見ている気配を背中で感じるが、
 場所的によく見えないので、本当に見ているかどうかはわからない。
 横目でちらっと確認してみるが、
 他の生徒の方を見ているようであり、僕の手元を凝視しているようでもあり、
 うつらうつら寝ているようでもある。
 僕は「見られてないかも」と思いつつ手前を進め、
 手に持った棗(抹茶が入った器)を棚の前に置く。
 「違う」
 低い声が飛んでくる。
 見てたんだ・・・。
 どうやら置く位置が違うらしい。
 さっき置いたところから、ちょっと右にずらして置いてみる。
 「違う」
 これも、違うらしい。
 右ではなかったようだ。
 右ではなく、左にずらして置いてみる。
 「違う」
 右とか左とか、そういう横移動の話ではない。
 右・左でないということは、上か、下か、はたまた斜めか・・・。
 横目で先生の顔を伺いながら、ちょっと上に置いてみる。
 「違う」
 そう、そういうことじゃない。
 うーん、まいった。
 ちょっとくらいヒントがほしい。
 ちらちら先生の顔を見るが、ヒントを与えてくれるような人ではない。
 どこが正解なのかはまったく見当がつかないが、
 時間をかければかけるほど、探り探りになり、余計に怒られそうなので、
 なんとなく良さげなところに、エイっと置いてみる。
 ここ!
 と、・・・何も聞こえてこない。
 どうやら、ここが、正解らしい。
 内心ほっとして、次の手前に移る。
 次の手前に移りながら、次回のために、棗の「正解」の位置を確認する。
 なるほど、体に対して、この位置が正解なのか・・・。
オーケーオーケー。
しっかり覚えておこう。
 ん?
 あれ?
 先生。
 ここ、最初に置いた位置と同じなんですけど!

 
 

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