中島みゆきの「世情」を口ずさみながら運転していると、
初心者マークを付けた車が右折しようとしてなかなかできないでいた。
対向車はビュンビュン飛ばしており、割り込めるすきがない。
一車線の狭い道路には、続々と、後続車が列をなし始めた。
初心者に、その右折は難しいわな。
僕も昔はそんなだったから分かるわな。
高速道路の入口でチケット取りそこねたり、
前方の車にずっとハイビーム当てたりしてたもんな。
初心者ドライバーの道路での失敗や狼狽は、
誰もが一度は通る道だよな。
そう思えばこそ、初心者ドライバーには皆優しくできるのだが、
誰もが一度は通る道だからといって、
初心者の苦悩を皆、過去のものにしすぎではないかと思うこともある。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というように、
誰もが初心者から経験者になると、初心者の気持ちを忘れてしまう。
しかし、「誰もが一度は通る道」は、すでに多くの人が通っていったとしても、
当人にとって初めて通る道は、困惑の連続だ。
初めて妊娠・出産する人にとって、鼻からスイカを出すような経験は苦痛でしかないし、
初めて小学校に入る新入生にとって、見知らぬ人だらけの教室は恐怖である。
それなのに、ほとんどの人は、一度自分がそこを通ったことがあるからといって、
その時の苦痛や恐怖を軽視する。
「そんな時代もあったね」と、中島みゆきばりに遠い目をするだけ。
しかし、その人達が喉元過ぎた熱さを忘れ、当時の大変さを語り継がないせいで、
世の妊婦の苦痛は、その苦痛の大きさに比べて軽視されているし、
入学や入社など、新しい環境に入る人の苦悩も軽視されている。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のは、
その道を通った人のほとんどがつまづかずにうまくその道を通ったからだが、
そこでつまづいてしまう人も、少なからずいる。
その少数の人たちは、少数というだけで世の中では問題にされないが、
人は、それぞれどこかの道、どこかのタイミングでつまづいている。
中学一年の友達づくりでつまづいた人と、大学入試でつまづいた人と、
就活でつまづいた人と、夫婦関係でつまづいた人と、子育てでつまづいた人と、
転職で、交通事故で、更年期障害で、親の介護なんかでつまづいた人の総数は、
たぶん、この国の総人口にだいぶ近い数になるのではないか。
そう。
ほとんどの人は、どこかの道でつまづいている。
それも、険しい道でつまづくのではなく、
ほとんどの人がうまく通り抜けている道でつまづく。
「運転」でつまづかなかった人も「妊娠」でつまづき、
「妊娠」でつまづかなかった人も「転職」でつまづく。
そう思えば、自分が過去にうまく通り抜けた道だからと
自身の経験から、過去の道を軽く見るのではなく、
「人はつまづく」という抽象的な目線で、
どの道もある人にとっては困難な道なのだ、と思いやりたい。
渋滞を引き起こしている車に、後ろの車から容赦ないクラクションが鳴り響いている。
ブッブー!ッブッブー!
複数のクラクションがハモる。
あなたが初心者に向けて鳴らしたクラクションは、
今後、あなたが「転職先」で「渋滞」を引き起こした時に
後ろから鳴らされるクラクションでもある。
こころの中の中島みゆきは「回る回るよ、立場も回る」と歌う。
自分が過去に、人にとってはなんてことのない道でつまづいたことを思い返し、
中島みゆきと共に、車が動くのを、運転席で、じっと待とう。