のろい歩み

月額980円で対象の本がどれでも読み放題のサービスがある。
そのサービスを使って詩を読んでいると、頭にも目にも耳にも、さっぱり詩が入ってこない。

ダウンロードし放題
感覚的には0円
色んな本が次から次にサクサク読める

そんな環境の中で詩なんか読めない。
詩なんかそもそも、時間がナメクジくらいの遅さで流れている時にしか読めないし、時間を遅らせるために読むような本である。
というか、そもそも、詩みたいな情報量の少ない文章なんて、今、誰も読まない。
特に子どもには、中身のない文章を積極的に薦める人は少ない。
大人は、速く・たくさん読む子どもを褒める。
そこでは、賢さとは情報量のことなのだ。

時間に関して多くの示唆を与えてくれる児童書『モモ』の中で、歩みののろい亀のカシオペイアは、灰色の男たちから追いかけられて焦るモモにアドバイスを送る。
「おそいほどはやい」
彼らがいる時空間では、急げば急ぐほど遅くなり、遅ければ遅いほど速くなるのだ。

「読み放題サービス」のように、たくさんの本が安い料金で簡単に読めるようになった令和では、昭和の『モモ』の教えは、より貴重に聞こえる。
なんでもただで読める環境で、情報量ほぼゼロの詩をゆっくり味わおうとするのは、なんでも取っていい帝国ホテルのバイキングでずっと梅干しだけをなめているようなものである。
それはもはや修行である。

次から次に情報だけが過ぎていく時代において、教育や育児は、「逆スピード勝負」であろう。
いかに遅く進めるか。
その修行にも似たしんどさは、おそらく、子どもではなく大人が感じるしんどさである。
子どもにとって、大人が感じる遅さは遅さではないし、大人が言う情報量の少なさは少なさではない。
「逆スピード勝負」をするのは大人である。
そこでは「遅い」大人ほど、子どもを「速く」歩ませる。

 

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