まだまだ寒い日が続く
こんなに寒いのに社会は平常通り動く
寒いことを前提に社会は回らない
社会は気温を前提に考えていない
社会同様、学校も気温を前提に動いていない
野球部もラグビー部もは凍傷しような冬でも
熱中症になるような夏でも練習をやめない
野球なんか冬はやらなくてもいいのに
寒い冬も暑すぎる夏も練習している
甲子園制覇を目指す野球部や
志望校合格を目指す受験生は
夏でも冬でも頑張ることが必要だろうが
大人が暑い日も寒い日も
同じように頑張る必要があるだろうか
天候に左右されずに頑張るというのは
かっこよさげに見えるが
それは中高生にもわかるスポ根のかっこよさでもある
スポ根では、頑張ること自体が美徳になる
しかし
大人は頑張ることに「意義」を投げかけなければいけない
なんのために頑張るのか
子どもは「全国制覇」や「志望校合格」を目標にしてもいいが
大人は「その先」を考える必要がある
もし、大人が「全国制覇」や「志望校合格」だけで満足してしまうならば
私達はずっと競争の中にいることになり
競争の中にいることでしか満足を得られないことになる
私たちが「戦争」するのは「平和」のためである
子どもは「勝負」や「競争」が好きなので
「戦争」だけで喜んでしまうことがあるが
「戦争」で達成すべき「平和」のことを考えておくのが
大人の役割である
「戦争」のための「戦争」をしていてはいけない
「戦争」のあとの「平和」を考えるとは
何が自分の求めるものかを知るということである
つまり、「汝自身を知れ」である
自分のこころや身体を理解しないところに「平穏」は訪れない
自分のこころや身体は環境というか自然と常に交流しているため
自分のこころや身体を理解するというのは
自然に耳を澄ませるということでもある
暑い日に暑いことを
寒い日に寒いことをなかったことにして
冷房や暖房を使って無理に「適温」にしておくことは
「競争」の先の「目的」を考えないことである
それは、エアコンが努力していればよいという
「スポ根」根性である
それでは空間が快適になればなるだけ
本来やらなくてもよかった仕事が増えるだけで
その先の目的にたどり着くことはない
なんのためにやっているのかわからない仕事が
ただただ増えるばかり
寒い日は無理をせずに
布団の中でじっとしておくに限る
そう言うことも大人の役割のひとつである