チラリズム

  

だんだんと夏に近づくにつれ、
まちの人の服装も薄着になっていく。
今の女性は、たぶん、
50年前の人が考えられないくらいの肌の露出をしているのだろうが、
これから50年後の女性が、もっともっと肌を露出しているのかと聞かれると、
よくわからない。
一時期、ミニ・スカートが流行ったが、時間がたてば丈はまた長くなったし、
へそ出しルックが流行っても、そのうち、また、女性はへそを隠した。
時代につれて、だんだん露出が増えていくわけではなさそうだ。

ただ、「江戸時代の着物は、平安時代の貴族達にとっては下着にあたる」
と言われるくらい、
時代が下るにつれて、服装が簡易になるのは、確からしい。
Tシャツ、ショートパンツで簡単に外に出る今の若者の格好は、
平安時代の女性からしたら、下着なんてもんじゃないのかもしれない。

飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂は、こんなうたを詠んでいる。

 白妙(しろたへ)の 袖をはつはつ見しからに
  かかる恋をも 我はするかも

「真っ白な袖をちょっと見たばっかりに、
これほどにも激しい恋を私はしてしまうことよ」
という、片思いのうただ。
当時、宮廷生活をしていた人麻呂が、
たまたま見てしまった女性の「袖」にドキリとしてしまい、
思いもよらず、恋を煩ってしまったという、一目惚れのうたであり、
「チラリズム」のうたでもある。

たぶん、宮廷の女性は今よりもちゃんと衣服を着ていて、
「袖」なんて、なかなか拝めるものじゃなかったに違いない。
普段はまったく見えない袖が見えたってだけでときめいてしまったのは、
普段、きちんと女性が「袖」を隠していたからだ。
チラリズムは、隠してこそ、
隠したものが露わになることを恥じてこそ、成立する。
能の始祖、世阿弥は芸事の奥義を、
「秘すれば花なり」と表現したが、
秘すること、隠すことの重要性は、日本人には染み付いている。
もしかすると、世界中の女性が皆、
「隠し、恥じらう」と思っている人もいるかもしれないが、

チラリズムが成立する国は、世界でも、限られている。
きちんと「秘していない」国では、チラリズムなどは、存在しない。

どこまでを隠し、どこまでは隠さないのか。
その境は、時代時代によって変わるけれど、
SNSが巷に広まったことで、近頃では、
肌や袖だけでなく、個人情報も、
どこまで隠し、どこまで晒すかを、自分で決めなければならない。
自分の好きなものをSNSで露わにして、
自分のお気に入りをみんなに表明する。
それは一見、活発で社交的には見えるけれど、
すべてを露わにしたら、「花」にならないことを、
この国の女性は、知っている。
どれだけ露わにしても、どれだけ露わにしているように見せても、
隠すべきところは隠す。
「すべて、露わにしてなるものか」
そういう感覚を、この国の女性は、
コンコンと昔から、受け継いでいる。
この国の女性は、Tシャツで外に出かけても、
SNSで自らを晒しても、
秘する”程度”を、間違うことがない。

 

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