元ヤクルトの野村監督が亡くなった。
野村監督は監督としてのイメージが強く、
実際、日本ではじめてのプレイングマネージャー(選手権監督)でもあったため、
選手としてより監督としてのイメージが強い。
しかし、選手としての野村克也は、
歴代の本塁打数、安打数、打点数、すべてで第二位という歴史に残る強打者であり、
捕手ながら三冠王を獲得した唯一の選手でもある。
その野村監督も、プロに入った時は契約金ゼロのテスト生で、
高校時代は甲子園にも縁がなく、その才能は誰にも目を付けてもらえなかった。
高校時代、どのスカウトにも目をかけてもらえず、
プロに入ってからも戦力外通告を受けた野村監督は、
そこから自力で這い上がり、三冠王までのし上がったわけだが、
高校時代に、後の三冠王になる打者の素質を
各球団のスカウトが見逃していたからといって、
彼らを責めることはできない。
なぜなら、高校生の才能を見抜くというのは至難の業だからだ。
(ついでにいうと、野村の高校は弱小校すぎてスカウトが誰も見ていなかったからだ)
ここにある統計がある。
矢野眞和という人が『試験の時代の終焉』という本に載せたデータで、
プロ入りした野球選手が入団後、どれくらい活躍できたかを数値で示している。
そのデータによると、各球団のレギュラーに定着した選手のうち、
ドラフト1位で入った選手が全体の3分の1を占め、
2位と3位でまた3分の1、
そして4位以下で残りの3分の1を占めているという結果である。
これを予想通りと見るか、
予想に反してドラフト下位の選手が活躍していると見るかは、
意見が別れるところだろう。
また、そのデータを高卒・大卒、社会人卒で分けて見た場合、
大卒・社会人卒が、「一軍の試合出場数」と「一軍のレギュラー定着数」の
累積到達率で、同じような曲線を描くのに対し、
高卒は、大卒・社会人卒の半分以下の曲線を描いている。
つまり、大卒・社会人卒の選手の一群が、
ある程度、球団の想定の範囲内で、活躍者を出しているのに対し、
高卒の選手は、期待はずれの選手や、能力を読み違えた選手がかなり混じっていて、
予想通りに成長していないということだ。
それは当たり前といえば当たり前の話で、
球団は、高卒選手の将来性に期待して獲るわけで、
大卒や社会人卒のように、即戦力としての活躍を期待しているわけではないので、
「ハズレ」がたくさん出るのは、織り込み済みであろう。
しかし、ドラフト上位で高卒選手を獲ったとしても、
その不確かさは高い確率で存在するわけで、
毎年アナウンスされる「期待の高卒ルーキー」には、
あまり期待してはいけないということだろう。
そして、その「一軍のレギュラー定着率」をドラフト順位順に見てみると、
そのほとんどを、ドラフト上位選手が占め、
ドラフト外から一軍に定着できた選手は、全体の、わずか3%にしかすぎない。
そのことは、スカウトの眼が正しかったことの証左ではなく、
ドラフト生(特に上位生)にはチャンスが多く与えられ、
コーチも辛抱しながら、長い目で見てくれた結果であろう。
それに比べ、アドバンテージのないドラフト外の選手が
一軍でのし上がるのは、至難の業なのだ。
つまり、ドラフト外で入ったノムさんは、とても偉いのだ。
(実際、首にされそうになったノムさんは、
「首にされたら国鉄に飛び込みます」と言ったらしい・・・)
野球という、高校生もプロも同じルールでやっている業界においても、
高卒と大卒・社会人卒の選手の活躍ぶりには、二倍以上の開きがあると、
そのデータは示している。
これを一般社会に移して考えると、例えば、
東大生と灘高校生をある会社に入社させて、
7年後に活躍している社員の割合を見ると(データはプロ入り後7年間の数字)、
灘高卒で活躍た人の数は、東大卒の半分以下しかいないということになる。
大学生はある程度、見込みが立てられるが、
高校生は、たとえ卒業時に優秀であっても、
社会で活躍できるかどうかに確証が得られないということ。
しかも、一般社会は、野球界のように、
高校生と社会人(プロ)でやっていることが同じではないし、
求められる能力や期待される資質も違うことを考えると、
野球界で出た結果よりも、高卒と大卒の間には、大きな開きが出るだろう。
それはもちろん当然の話で、高校生の未来が不明瞭なことなど、
誰もが感じていることだ。
高校生なんて、数年後、能力的にも精神的にも感心分野においても、
どう転んでいるかわからないし、それこそ、人々が、
若い人に対して、「希望」とか「将来」とか呼んでいるものなのだから、
高校生に対し、一つの評価基準で断定的な判斷をしてはいけないし、
高校生も、自分自身を、一つの社会的な基準によって評価してしまってはいけない。
社会には、『打つ・投げる・走る』以外の評価基準がたくさんあるし、
ある業界で評価されなくても、違う業界では評価されるということもある。
また、どの業界で評価されなくても、
世間からは『いい人』と評価されたり、
友達からは『優しい』と評価されることだってある。
評価してくるのは「大学」や「社会」だけではないのだ。
そう、つまり、なんで、そんな当然の話を、
野球のデータまで持ち出して言っているのかというと、
「大学入試の結果で、君らの評価が決まるわけではないぞ」と、
今の今、悲しいセンター試験や二次試験の結果に落ち込んでいる子たちに
言っておきたいからであるし、
あと、ノムさんにも、心よりご冥福をお祈りしますと言っておきたいからである。