今年もハロウィンが終わった。
テレビは、ハロウィンにかこつけて渋谷でただただ騒ぐ人たちや、
ハイクオリティな仮装でパレードする川崎の人たちを映していたが、
都内某所では、それらのイベントと一線を画す催しとして、
「地味な仮装限定ハロウィン」が開催されていた。
「地味な仮装限定ハロウィン」の参加者は、
ドラキュラや白雪姫のような、
ハロウィンらしい派手な仮装をするのではなく、
日常に普通にいる人の仮装をしている。
日常の一場面を切り取った、
仮装といえるかどうかぎりぎりの仮装をしているため、
はためには何の仮装をしているかわからないので、
皆、首から下げたネームプレートに、
何の仮装をしているのかの説明書きを書いて、ぶらさげている。
「”なんでも鑑定団”で自信満々だったのに外した人」
「熱があるのにバイトに来た奴」
「友達の友達」
「学食で飯食ってる教授」
「富士登山なめてる人」
皆、仮装にはお金をかけずに、
そのセンスだけで、笑わせようとしていたが、
その面白さのほとんどは、ビジュアルと「説明書き」の面白さなので、
文字だけで面白さを伝えることは難しい。
興味があったら、実際の様子を見てほしい。(「地味な仮装限定ハロウィン」)
そういえば、ハロウィンは、日本に入ってきて何年目なんだろう。
日本人は「ハロウィン」という、
よその国から入ってきた催しに困惑し、
何をすればいいのかわからないまま、
渋谷で、軽トラックをひっくり返したり、
「仮装」を逆手に取った「地味な仮装パーティー」などを催している。
「はろうぃんとは、仮装をするものらしい」
「お菓子をもらえるらしい」
「かぼちゃが関係するらしい」
その程度の知識の中で、想像を膨らませ、
これまで、少しずつ、
異国の「はろうぃん」なるものを、
自分たちのものにしてきた。
その過程の中で、伝統を重んじる保守的な人たちに小言を言われたり、
「はろうぃん」の本場を知っている外国人に笑われたりもしてきたが、
これまで「クリスマス」や「バレンタイン」でもそうしてきたように、
一歩ずつ、よその国の催しを、自分たちが楽しめる形に変えてきた。
ただ、日本人は、恋人たちのイベントを自分たちのものにすることが、
あまりうまくないようで、
バレンタインもクリスマスも七夕も、
あまりうまく日本化できていない。
バレンタインは、欧米で「男から女へ」愛の告白をするものだったものを、
「女から男」に変えただけだし、
クリスマスは、家族が揃ってキリストの誕生日を祝うイベントを
「恋人にネックレスをあげるイベント」にしただけ。
七夕も、織姫と彦星というロマンチックな背景があるにもかかわらず、
恋人のための催しではなく、
子どもが願い事をするイベントになってしまっている。
そう考えれば、クリスマスは、
「恋人にネックレスをあげる日」というよりは
「家族そろってケンタッキーを食べる日」として定着している。
日本人は、恋人関係のイベントに疎い。
子どもなのかな。
その点、ハロウィンは、最初から子どもを巻き込んだ家族ぐるみの催しなので、
これから、うまく日本化できると期待している。
日本人は、世代を超えて皆が楽しむイベントには、めっぽう強い。
お正月に、マイカーのナンバー部分に「しめ縄」を飾ったり、
こどもの日に、菖蒲を風呂の中に入れてみたり、
お盆に、アイドルソングをみんなで浴衣姿で踊ったり、
十五夜に月を見ながら団子を食べたり、団子を食べずにヨガをしてみたりと、
変な楽しみ方をたくさん生み出している。
今はまだ、ハロウィンといえば、
みんなが集まりそうなところに出かけていって、
らんちき騒ぎをしているだけだが、
今後、日本のハロウィンというものはこういうものだということができれば、
皆、その形に沿って、楽むようになるだろう。
今は、まだ、過渡期。
そのうち、もともとのハロウィンの起源がケルトの悪霊祓いであったことも忘れ、
アメリカの定番である子どもたちによる「トリック・オア・トリート」のことも忘れ、
もしかしたら、ハロウィンで「仮装」することすら忘れた頃に、
日本版のハロウィンが完成しているのかもしれない。
日本人のカスタマイズは、行くところまで行く。
来年のハロウィンは今年より、
再来年のハロウィンは来年より、
確実に、より良くなっていることでしょう。
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