赤面症の人を見た。
十数人の前で順番に自己紹介する機会があり、
ある女性に順番が回ってきたのだが、なにも言葉が出てこない。
皆は黙って見つめている(もしくは心の中で応援している)が、
それが余計プレッシャーになるのか、
顔が耳まで真っ赤になり、
小さな声で、自分の名前をかろうじて絞りだし、
聞こえるか聞こえないかの音量で、「よろしくお願いします」と言って、座った。
聞いていた人達は、他の人の自己紹介以上に拍手したが、
真っ赤な耳の彼女には、何も聞こえていないようだった。
人前で話すのが苦手な人がいる。
赤面する人、どもる人、もじもじしちゃう人。
人の視線やプレッシャーを感じてあがってしまい、何もできなくなる人達は、
けっこう、そのことをコンプレックスとして抱えている。
その逆に、まったくあがらない人たちもいる。
何万人の観衆があろうが、どんなにプレッシャーがあろうが、お構いなしの人たち。
むしろ、ギャラリーが多ければ多いほど、
プレッシャーがかかればかかるほど、
実力以上の力を発揮できる人たちがいる。
そういう人たちは、目立つ。
主役になれる適性がある。
ただ、そういう人たちの中には、
プレッシャーがないと何もできない人達も、けっこういる。
プレッシャーがあり、人の目にさらされていれば、努力もするし、結果も出すが、
人から見られていないと、まったくもってやる気を出さない人たち。
注目がないところでは、何の役にもたたない。
目立つ人には、そういう裏の面もある。
スポーツ選手の中で、引退後、まったくの廃人になってしまう人たちがいるのは、
彼らが、そのスポーツ以外何もできないからではなく、
”誰からも注目されないのに、日々、頑張る”ということが、
わからないからではないだろうか。
現役時代、有名だった選手ほど、
「褒メラレモセズ」「苦ニモサレ」なくとも頑張って生きていくということが、
わからない可能性がある。
赤面症の人は、人前で何も話せなくなる自分のひ弱な性質を恨むだろうが、
赤面症の人は、人に見られていないからといって、努力を放棄したりしない。
プレッシャーがかかる場面では、まったく役に立たなくても、
プレッシャーがない場面では、役に立つことがある。
プレッシャーのかかる場面で恥をさらしたとしても、
そんな場面は、プレッシャーに強いやつに任せておけばいい。
適材適所。
大したことじゃない。
この世は、人に見られる仕事より、見られない仕事の方が圧倒的に多い。
もし、拍手に言葉が乗っかるなら、
そういう言葉を乗っけて拍手を送りたかったが、
彼女はうつむいてて、何も聞こえてないみたいだった。
だけど、他の人の拍手にも、
たぶん、そういう言葉が、乗っかってたんだと、思う。
みんなの拍手は、そういう音のする拍手だった。
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