日本人のパスポート所持率が19.1%というニュースを目にした。
日本人の5人に1人はパスポートを持っていないということで、コロナ禍による国内自粛の影響もあるということらしいが、コロナ前の数値でも所持率は21%くらいということなので、もともと、日本人はパスポートをあまり持っていないらしい。
海外はどうかというと、アメリカの所持率が44%ということらしいので、自分の国が世界の中心だと思っている人がたくさんいる国にダブルスコアを付けられている日本は、本当に内向きなんだなと実感する。
また、文科省が出したデータで、「期間を問わず、将来外国留学をしたいか」という質問に、韓国、アメリカでは、6割以上の学生が「YES」と答え、ドイツ、フランス、スウェーデン、イギリスでは、5割から6割が「YES」と答えたのに対し、日本で「YES」と答えたのは、3割くらいだったという。
「内向きJAPAN」である。
インターネットが広まって以降、海外の情報が簡単に入るようになったことで、海外がそこまで「異国」でなくなったことは、海外忌避の遠因になっているだろう。
海外には、以前あったような刺激がすでに失われている。
すでにネットの中で海外の情報や景色や雰囲気を事前に仕入れている人にとっての海外は、現地での「答え合わせ」にしかなっておらず、国内と海外の差異は以前ほど刺激的なものではない。
それは、別に海外に関することだけでなく、すべての分野においてあることで、「情報が先行していることでやる気が萎えてしまっている」のが現状である。
人は画面をスワイプしてわかるようなことを、わざわざ足と金を使って確認しにいこうとは思わない。
それ、もう知ってる。
ネットで見たことある。
それでおしまいだろう。
そうした「情報が先行している現状」に加えて、内向き化に拍車をかけているように思われるのが、「そもそも日常に情報が多すぎる現状」である。
人が「内向き」になってしまうのは、守りに入るからである。
何を「守る」のかというと、自分の快適さである。
人は新しい情報や理解できない情報にさらされると、混乱してしまう。
なるべく処理できる容量の情報だけ、なるべく理解できそうな情報だけに目を向けておかないと、ヒートを起こしてしまう可能性がある。
こういう心理実験の話がある。
あるテストを行う前にどれくらいそのテストに自信があるかを尋ねる。
その後、実際にテストを受けさせ、「合格」と「不合格」の結果を与えた後で、もう一度、テスト前にどのくらい自信があったかのを再び、尋ねた。
すると、「合格組」は、「はじめから合格すると思ってた」と思う傾向が強く、「不合格組」は、「はじめから不合格な気がしてました」と答える傾向が強くなったという。
それらは、実際にテスト前に書いた回答と大きくずれていたという。
つまり、人はうまくいった際(ポジティブな結果)には、「思った通り、うまくいった!」と思い、うまくいかない際(ネガティブな結果)には、「思った通り、うまく行かなかった!」と思うのである。
これは、結果がどちらにしても「思った通り」と思いたいということである。
なぜなら、「思った通り」でないと、混乱してしまうからである。
結果がよくても悪くても、思った通りであることが必要で、思った通りでなければ、考えることが多すぎて、ヒートしてしまう(最近の電子機器はあまりヒートしなくなったので、この表現も死にかけですね)。
そういった意味で、「異国」というのは、「思った通り」でない体験、処理できない情報で溢れている。
普段とは違うルールや理解できない習慣、嗅いだことのない匂いや聞き慣れない言葉。
それらを逐一、処理していくことは負担が大きすぎると、日本の若者は感じるのだろう。
そうした普段との差異を「楽しみ」ではなく、「大変そう」と思ってしまうのは、彼らが、その大変さを普段から身にしみて感じているからだろう。
考えることが多すぎるのはしんどい。
「情報過多」は避けたい。
海外に留学することがまだ珍しかった時代、海外を夢見た若者たちにとっての留学は、「自由」や「開放」の別名だっただろう。
小さな世間や狭い学校から飛び出していく先としての海外は、なにかポジティブな変化を与えてくれる存在だっただろう。
しかし、今の多くの若者にとっては、処理しなくてはいけない多くの情報に囲まれた日常から、別タイプの処理しきれない情報に囲まれた日々に移るだけの、代わり映えのないものが留学なのかもしれない。
そうであるなら、内向きな若者を変えるためには、海外の面白い情報や留学の素晴らしさを与えるのではなく、日々の情報ストレスを和らげてあげることが近道なのかもしれない。
子どもは本来、新奇なものに対する好奇心が強い生き物なのだから、まだ見ぬ世界を「面白そう」ではなく「大変そう」だと感じてしまうのは、若者の「内向き志向」などではなく、若者の「老齢化」と呼んだほうがよいのかもしれない。