茶会に招かれた。
古い日本家屋の敷地の一角にある、狭い茶室に身をかがめて入る。
茶室の入り口は、狭いにじり口。
背中を丸めて入った茶室の中には、亭主が1人と、僕ら客が4人。
本来は定員3人のところ、無理に4人押し込んだので、
体を寄せ合うようにして、ギュウギュウで座る。
もし、客の一人が力士だったら、4人は無理だったと思う。
4人とも、相撲取りじゃなくてよかったなと思う。
でも、もし客の中の誰か一人でも相撲取りだったら、
そもそもこの茶室には入れなかっただろう。
そのくらい、にじり口は小さい。
僕らでも体を縮こませて通るのに、力士にはきっと通れまい。
今の茶道を大成させた千利休は、身分差のある戦国時代において、
武将も坊主も町人も、
「茶室の中では皆、平等」の精神を持っていたが、
にじり口を通れない人のことは、どう考えていたのだろう。
「茶室の中では皆、平等。ただし、にじり口を通れるものに限る」
そんな但し書きを、茶室の前に掲げていたのだろうか。
「体の大きな人はお断り」。
そんな、「体格」による差別は、「身分」による差別よりも悲しい気がする。
でも、人を色眼鏡で見なかった千利休のことだ。
体の大きな人は特別に、そっと裏から茶室に入れてあげていたと思いたい。
どんなに体の大きな相撲取りでも、駕籠者でも、雲助でも。
そして、利休が点てたお茶を受け取った大男たちは、
大きな両手で、壊れやすい茶碗をやさしく包んで、濃茶をすすり、
隣の大男に、やさしく手渡しただろう。
そして、利休は、大きな手で菓子盆をまわす大男たちのために、
いつもより大きめの菓子を用意したことだろう。
もてなしとはやさしさのこと。
利休って、やさしいね。
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