手紙

最近、めっきり手紙を書かなくなった。
それはメールやSNSのせいなどではなく、ただただ、「区切り」と「お礼」の機会が少なくなったせい。

自分は筆まめからは程遠く、手紙を出さねば出さねばと思いながら出さなかった手紙がいくつもあるわけだけど、手紙を書くこと自体は、この上なく楽しい時がある。
手紙を書くことで、メールでもブログでもフィクションでも論文でもうまく言えなかったことをうまく言えたと思う瞬間がある。

手紙という媒体はクローズドな関係でしかやり取りしないものなので、その外に、明るみに出ることは少ないが、マンガ家がマンガという手段を持ってしかうまく表現できないように、手紙という媒体のみでしかものを伝えられない人も、この世にはいるように思う。
そういう人は、おそらく、社会的には何を書いたのか判明しないまま、クローズドな個別の人との関係性の中で、輝き、過ぎ去っていくのだろうと思う(し、それでその人は満足なのだろうと思う)。

時に、手紙を書くことは喜びだが、手紙を読むことは、反対に、常に、避けていたいと思う。
手紙は書くが、手紙は読まない。
そんな身勝手なことは許されないように思うが、書くことは好きでも読むことは嫌いである。
料理を作るのは好きで、食べるのは嫌いなコックのように。

手紙を読むのは心理的な負担が大きい。
なんといっても、この時代にわざわざ手紙を書くということは、内容的に、メールよりも濃い内容が書かれている可能性が大きいので、読むのもこころの準備がいる。
だから、できるだけ手紙は読みたくない。
(なのに、自分は書く)
代りに読んでもらえる人がいれば、その人に代読を頼む。
そして、本当に知るべき内容以外は、何が書かれていたか、教えてもらわない。
手紙というのはその人の心情を綴るものなので、「伝達事項」なんてほぼないし、大抵、手紙を送ってくる人が言いそうなことは事前にわかる。
それが、感謝や賛辞の言葉であっても、読みたくないのだ。
読まなくても、わかる。
言葉にせずとも、わかる。
恋人や友人などの本当の親しい関係以外、本心は伝えるものではなく、想像するものである。
(だから、自分が書く手紙もそうしてもらっていいと思っている)

最近は、手紙で愛の告白をすることもないらしく、高校生に「手紙で伝えたほうが、想いが伝わるじゃん」と言うと、
「いや、手紙もらっても、返事、どうすればいいか、わかんないし」と返される。
相手の返事のしやすさを思えば、告白はスマホを通してすべきだという。
さらにいうと、面と向かった告白もオススメしないという。
告白は、断る可能性のある相手のことを考えて方法を選ぶ必要があり、それが「やさしさ」であり。その「やさしさ」がない人が告白に成功するとは思えないという。
思えば、これまで、告白をしたいという気持ちに駆られて実行に移してきた人々は、相手を巻き込む形で告白を繰り返してきた。
モテる人は、そのつど、それにつきあわされてきたのだが、今では、相手を思って、告白の媒体を選んでくれる。

この時代、手紙でなにかを伝えるというのは、これまで以上に、手紙である必要が求められる。
手紙という媒体でしか伝えられないことはいくつかあるが、その範疇はますます狭くなってきているのだろう。

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