教育的配慮

大股で歩いたら4歩くらいで渡れそうな横断歩道に無駄に信号がついてて、普段は、そんなん知らんやんって、雨の日の「傘持ち自転車運転」くらいルール無視して渡るわけやけど、昨日、そこに、小学生男児が信号待ちしとったから、自転車のブレーキをタイヤに煙出るかくらい押し付けて止まってやった。
でも、なんでそんな教育的配慮するかってぇと、信号で停まるのは「基礎」やから。そのうち大きくなったら、信号が「赤」でも車が来とらんやったら渡ってもいいっていう「応用」がわかるようになるけど、まずは、「基礎」がわかってないと、車にはねられて、宙を舞うように、4歩で渡れる横断歩道を無歩で渡ることになる可能性があるからこその教育的配慮。
やけども、「基礎」ってのはほんとは「応用」から作られたもんで、剣道の教科書が先にあったわけじゃなく、実践での剣の凌ぎあいがあって、それのエッセンスが教科書になったんやから、「基礎」をぼけーっと守って、4歩で渡れる横断歩道を「赤」やからという理由で、車も人もおらん時にじぃーと止まってる奴は、半分くらい阿呆やし、急いでもないのに「青」になったからといって、「青」になったとたんに我先に歩き始める奴も、4分の3くらい阿呆。
ってことを知るのは大人になってからでいいわけで、男児と女児はまず「赤は止まれ」という「基本」を知れという意味の、無言の教育的配慮的ブレーキ。

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