車の自動運転技術はどんどん上がっている。
アメリカの電気自動車会社テスラは、
自動車を「家電」と位置づけており、
部屋のような「空間」が移動するという考え方をしているらしい。
すでに日本でもカメラと画像処理技術による運転支援システムのおかげで、
大して気をはらなくても、楽に運転できるようになっている。
ドライバーがハンドルを握って目的地を目指す姿が見られなくなる日は近い。
ドライバーというのは、意志の象徴だった。
先日も、受験を控える高校生が、
この時期に手をつけるべき課題に手を付けていなかったので、
「お前ら、まだ助手席に座ってるよ。
助手席に深く腰掛けて、ドライバーが目的地に連れて行ってくれるのを待ってる。
ドライバーはお前らだよ。自分でハンドル握れよ」
と、説教していた。
受験に失敗したって、志望校に行けなくたって、大人は誰一人責任なんてとってくれない。
大人というか、他人は、悲しむふりくらいはしてくれるが、
本当に悲しいのは自分しかいない。
人をそんなに当てにしてはいけない。
自分でハンドルを握り、自分で目的地まで車を走らすしかないんだ。
そう、車の免許も持っていない学生に、車の例えを出して理解させようとしていた。
家族問題を語るときも、ドライバーの例えは有効だった。
父親が運転席、母親が助手席に座っていた「昭和」とは違って、
今は、女性が運転席に座ることが可能になった。
「船頭多くして船山に登る」ことは往々にあり、
ドライバーが二人いることで、向かう方向がずれ、離婚率が上がっている現実もある。
男性と女性、それぞれが数時間ずつ交代で運転して車を走らせるのが理想なのか、
男性が助手席の仕事を覚えることでスムーズに目的地を目指すのがいいのか、
運転席に二人が座れる時代の”正解”は、一つではないだろう。
「車」にしても「船」にしても、乗り物は例えとしてわかりやすいのに、
自動運転によって、ハンドルに触らなくても目的地まで着けるようになったら、
「助手席に座らずドライバーになれよ」や
「女だってハンドルを握っていい時代なのよ」
という説教や意志が意味をなさなくなる。
すでにゲーム機の進化によって、
「人生にリセットボタンはないんだよ」という常套句は使えなくなってしまったように、
手動運転時代の常套句は、そのうち使えなくなるのだろう。
テスラ始め、電気自動車会社さんには、
自動運転技術とともに、新しい例えの方も、準備しておいていただきたい。
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