
マルクス・アウレリウスの「自省録」を読んでいる。
 目は文字を追っているのに、全然頭に入ってこない。
 朝ごはんを食べなかったせいかもしれない。
 腹がすきすぎていると頭も回らないものだ。
 まったく意味が頭に入ってこないながらもなんとかページをめくっていくと、
 以前、自分が引いた赤線が目に入る。
 あ、ここ、2日前に読んだとこじゃん・・・。
 前に読んだところだと気づかないくらい、
 内容が頭に入っていなかった。
 もしかしたら本が読めないほどに、
 心がざわついているのかもしれない。
 心が安定していないと、頭は働かないものだ。
”重い本”や昔の本を読むには、
 こころとからだが整ってなければいけない。
 「衣食足りて栄辱を知る」と言うけれど、
 心身が本を読む状態になっていないと、本なんか読めない。
 「衣食足りて知性を知る」だ。
 ”軽い本”でも活字がただのインクにしか思えない時があるのだから、
 古典なんて読めたもんじゃない。
 腹ペコな子どもに論語を読ませることや、
 夫婦喧嘩してる隣で、子どもに「ガリア戦記」を読ませることは、基本的に、無理がある。
以前、小学校で、「朝の10分間読書」運動が広まっていた際、
 それと同時に、「早寝早起き朝ごはん」運動も盛んになっていた。
 「本を読むこと」と、「ちゃんと食って寝ること」は、対なのだ。
 本を読んで、ものを考えるためには、
 まず、ちゃんと飯を食って、ぐっすり寝なければいけない。
 それは、古代ギリシャ時代から
 「貧乏人に哲学はできない」と言われていたので、真実だろう。
 もし「子どもが本を読まない」と嘆く親がいるならば、
本を読ませる前に、子どもが、ちゃんと食って寝ているか確認した方がいいだろう。
 いや、その前に、自分がちゃんと本を読んでいるかどうか確認するのが先かな。

 
 

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