道徳の教科書

あのー、大谷の偉業を褒める時にですよ、高校時代に大谷が書いてた「目標シート」みたいなのが取り上げられて、高校の時から目標に向かって努力してきた大谷の凄さみたいな話になるんですけど、あれは大谷というか、花巻東がやってた方法であってですね、別に大谷の凄さじゃないんじゃないですかね。

目標設定するってですよ、結果を残すっていうか、結果が大事ってことですけれども、大谷の凄さって、「結果」じゃなく「過程」だってことをプロの世界で示したことにあってですよ、大谷が二刀流やるっていった時に、プロの人達がなんていったかっていうと、「そんなことすると、投手としても打者としても大した記録を残せないぞ」っていったわけですよ。

結局、大谷は、投手としても打者としても大した記録を両方で残してしまったんですけども、大谷はどっちの記録も中途半端になるって批判に対して耳を傾けなかったというか、彼がやりたいことは記録を作ることじゃなくて、少年野球でやってたみたいに、全力で投げて、打って、走って、応援して、勝つように頑張るっていう、ただそのあり方だけで、記録は二の次だったわけです。

それは結果ではなく過程というか、何を残したいかではなくて、どうあり続けたいかに興味があるってことで、その意味で、大谷の目標設定ってのは、彼が、どういう野球選手でありたいのかという「あり方」ありきの、二次的な話ですよ。
だから、大谷は「目標設定」とか「結果」とかで語るべき人ではなくて、「過程」や「あり方」の大切さの教科書に出てくる人として語られるべきでしょう。

おそらく、今後、大谷と同じ二刀流のプレイヤーは出てきても、大谷ほどの結果は残せなくて、「どっちも半端で終わったね」って言われる人が出るんでしょうけど、それはその人のプレイヤーとしての「あり方」の話なので、別にその人はその人なりの価値観があるんだからいいでしょうよという話で、それは、「仕事と家庭のライフワークバランス」みたいな適度なバランス取りましょう的な、くだらない話ではなくて、「投げるとの打つの、どっちも好きなんだ」っていう人間の業の肯定みたいな話。
そういう意味で、大谷は、「道徳」の教科書に出てくるような人ではなく、「強欲」の教科書に出てくるべき人ですから、あまり無闇に聖人化しないようにしましょうね。

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