閉鎖系

これまで、銭湯や温泉というのは、「開放系」だった。
良いお風呂の代名詞といえば「露天風呂」であり、外に開けていること、開放的であることが価値だった。
銭湯の天井は高いに越したことはなかったし、陽の差し込む窓は大きいに越したことはなかった。
「抜け感」があり、利用者が開放的な気分になれることで、入浴者は次も利用しようという気になったものだった。

日本中の銭湯の壁に富士山の絵が描かれたのも、入浴者が日本一の富士を想像することで、日本人が開けた気持ちになれたから。
「開放こそがお風呂」だった。

そうした「開放系」でやってきた長い歴史の中で、近年、サウナなどを中心に「閉鎖系」の動きが広まってきている。
サウナや岩盤浴など、狭い部屋で個人の心身を整わせることが温泉や銭湯の目的になり、「サウナ→水風呂→クールダウン→サウナ→水風呂」という「サウナループ」は「行」にも近い個人的な行為であるにもかかわらず、多くの人が虜になっている。
ここから、サウナと、心身を整えるという「行」的な「整う」のイメージが重なるようになった。

また、岩盤浴は、閉鎖的な空間に暗めの明かりを使うことで、リラックス効果を狙っているし、半身浴など、家で長時間のお風呂を楽しむことも、昭和とは違ったお風呂の楽しみ方として定着している。
それらの風呂トレンドは、すべて「開放的」にするのではなく「閉鎖的」にすることによって、心身を整える方向に進んでいる。
今は、「閉鎖こそお風呂」になりつつある。

先日訪れた、島根県のとあるホテルの温泉は、更に進んでいて、お風呂が「閉鎖系」というより「瞑想空間」に近づいていた。
湯船の水紋の動きが天井の明かりに照らされ、水が作る瞬間瞬間の模様が、天井にゆらゆらと映し出されていた。
それを眺めていると、視覚的にも、意識が研ぎ澄まさていくようだった。

壁には幾何学模様が描かれており、利用者に圧迫感さえ与えかねない高さがあった。
「開放系」とは真反対の高い壁は、利用者を閉じ込めているようで、露天風お呂のように、気持ちが空の彼方へ飛んでいくことがなかった。

聴覚的にも、浴場内にヒーリング音楽がかかっており、露天風呂やサウナにテレビが埋め込まれているタイプのスーパー銭湯とは一線を画していた。

すべての作りが、リラックスし、個人的に集中するために設計されており、意識を内へ内へと向かわせる作りになっていた。
昔の銭湯のように、壁の富士山を見て、まだ見ぬ富士山に思いを馳せるのではなく、分厚い壁を前にヒーリング音楽を聞きながら座り、自分の内面に潜っていく。
「整う」という言葉がサウナに登場した時から、お風呂は「瞑想空間」に向かう運命が決まっていたのかもしれない。

その流れは現代にマッチしていて、そこいらの温泉・銭湯よりよほど評価できる温泉だった。
ただ、温泉や銭湯は独占できるものではない。
夜中、一人で入る分には「瞑想空間」にもなるが、他の利用客が入ってきたら、瞑想はすぐに「解ける」。
今のお風呂は閉鎖系を目指してはいるが、本当の閉鎖系にするためには、壁で仕切るか、リゾート温泉のように内風呂にして高いお金を取るしかない。
そこが「閉鎖系」の未解決部分である。

そう思えば、サウナという、集団で「修行」できるシステムは、なかなかの優れものである。
仕切らなくても、内へと潜ることができる。

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