おしゃれネイティブ

「文化資本」という考え方がある。
フランスの社会学者、ピエール・ブルデューが提唱したもので、
家庭内で親から子へ受け継がれる言語や知識、振る舞いや思考様式のことをいう。
子どもの将来を左右するとも言われる「文化資本」には、二つの獲得方法がある。

一つは、育ちによる獲得。
そして、もう一つは、教育による獲得。
ブルデューは、文化資本を持つ人々を、
「育ちによる文化貴族」と「教育による文化貴族」と、分けて考えたのだ。
思想家の内田樹氏はこれに対する解説で、
「『育ちによる文化貴族』は、知っている知識やスキルを『微妙に”控えめ”』に披瀝し、
『教育による文化貴族』は、『微妙に”おしつけがましく”』披瀝する」と言っていた。
子どもから大人になる中で、勝手に知識やスキルが身についていた人と
意識的に身につけようとして身につけた人との間には、

歴然とした差がある。
その差は歴然としてあるが、それはなにも『文化資本』のみに限った話ではない。

ブルデューが「文化貴族」と呼んだ人々を、
日常生活で、「ネイティブ」と(僕は)呼んでいる。
おしゃれネイティブ、おせっかいネイティブ、
音楽ネイティブ、お笑いネイティブ。
皆、意識せずとも気づいた時には、それらが当たり前のようにできた人達だ。
できるということを自覚せず、
できないということがわからないネイティブの人達は、
口笛を吹くように、ほかの人ができないことをやってしまう。
どれだけ僕が後から学習によっておしゃれを学んでも、
ネイティブのさりげないおしゃれにはかなわない。
「第二おしゃれ言語学習者」の僕が、ネイティブの”さりげないおしゃれ”を真似しても、
本物のネイティブは、さりげなく、”おしゃれをしないおしゃれ”ってのを見せつけてくる。
ネイティブは、無意識なハイスペックで、
いつも後天的学習者を引き離す。

「文化資本」は主にフランスの階級の話なので、
各家庭が文化資本を持っているか否かに関わるが、
「ネイティブ」の話は家庭に限らず、地域や社会を含めた話でもある。
日本人は、家庭によらず、だいたいが、
きれい好きネイティブで、気がきくネイティブで、整列して順番を守れるネイティブだ。
言葉にならない振る舞いや言動は、
家庭以外の学校や社会でも十分教えられる。
そこは家庭での「育ち」と社会的な「教育」の重なった部分。
おしゃれネイティブに生まれなかった可哀想な子どもは、
学校の決まりきった制服を着る中で、
「合わせ方」や「崩し方」を学んでいくよりほかはない。
神様がファッションデザイナーやスタイリストの家の子にしてくれなかったということは、
「お前は、頑張って”後天的に”おしゃれを学習しろ」ということなのだ。