お辞儀と握手

日本は、お辞儀の国だ。
西洋や中東、アフリカの人たちはアジアを一括りにするので、
アジア=お辞儀の国だと思っているが、
日本と、韓国、中国、タイ、ベトナムでは、それぞれ、お辞儀のやり方は違う。
お辞儀スタイルは国ごとにそれぞれあるが、
中でも、回数的に、一番頻繁にお辞儀をしているのは、日本だと思う。
目の前に相手がいなくても、
受話器を片手に、僕らは、ぺこぺこしている。
日本人には、お辞儀が染み付いている。

僕は日本人の謙虚なお辞儀スタイルが好きだが、
今後は、握手の場面が増えていくんだろうなぁと思う。
それは、握手が、接触スタイルのあいさつで、
接触によって、他の情報も得られるからだ。
「目は口ほどにものをいう」というけれど、
「手も口ほどにものをいう」。
その人がどういう生活を送っているかは、
手のひらが教えてくれる。
この間、久しぶりに会った、同年代の女友だちは相変わらず楽しい人だったが、
別れ際に握手した時の彼女の手のひらは、カサカサだった。
その瞬間、「あっ!」っと感じる。
子育てと家事でカサカサになった彼女の手は、
自分が知っている彼女とは違う彼女を想像させた。
その手は、自分よりも人のために時間を割いている人の手だった。

お辞儀スタイルが確立していた江戸時代、
お辞儀する相手は、たいてい、知り合いだった。
ほとんどが知り合いで、たまに初対面の人がいたとしても、
それは身元のはっきりした人だった。
相手の素性は、わかっている。
しかし、今、僕達があいさつする人達の中には、
素性がはっきりしない人が、たくさんいる。
会社の名刺はくれるものの、
会社以外でどういう人なのか、本当のところは窺いしれない。
「目は口ほどものをいう」というが、
最近はディファイン(コンタクト)している人もいるので、
瞳孔を、きちんと追うこともできない。
お互い、相手の素性に疑いをもちながら話す僕たちは、
最後、別れ際に握手をする。
そこで、初めて、僕らは、言葉や目で追えなかった情報を得るのだ。
その人は、信頼に足る人なのか。
口先だけの嘘野郎なのか。
僕たちは、握手でもって、非言語情報を獲得していく。

高校生の頃、英語を教えてくれたモロッコの先生は、
僕と握手した際、珍しく、大きな声で僕をたしなめた。
「もっと、力を込めて握手をしろ!」
ん?なに?
「そんな弱い握手じゃ、だめだ。
 ゲイだと思われるぞ!」
え?そうなの?
それ以来、僕は、力強い握手しかしていない。
握手は、相手の情報をいろいろこちらに教えてくれるが、
こちらから相手に伝えたい情報も、いろいろと送ってくれるのだ。
僕は、毎回、力強い握手をする。
そのことで、毎回、相手に、強く、明確なメッセージを送っている。