どんまい!

  

和製英語というものがある。
オーダーメイドとか、ビジネスホテルとか、サラリーマンとか。
英語圏では通じない、日本人が勝手に作った英語表現のことだが、
和製英語の中で、僕が気に入っているのは、「ドンマイ」だ。
「Don’t mind」から来たと思われるこの和製英語は、
「気にするな」という意味だが、
英語圏の「Don’t mind」に、「気にするな」という励ましの意味はもちろんない。
人を励ます時に「ドンマイ」と言っているのは、日本人だけだ。

ちょっと前まではよく聞いていた「ドンマイ」だが、
最近、めっきり聞かなくない。
スポーツ以外の日常生活でも、友人の肩に手を置いて「ドンマイ」
と励ましていたはずなのに、最近、言うことも言われることもなくなった。
「ドンマイ」はどこに消えたのだろうか。

中学生の頃、こういうことがあった。
クラスの友人の一人が数週間学校を休んだのだが、
原因は、彼の顎が外れてしまい、入院していたからだった。
顎が外れるなんて、さぞ痛かっただろうし、恥ずかしかっただろうが、
友人が入院から戻ってきた初日、僕らは彼を見て、爆笑した。
「顎、外れたってか!」
その僕らの行動を聞いた、うちの母親は、
「怪我した人を、笑っちゃいかんよ」と僕をたしなめたが、
当時の中学生にとって、可哀想な友人は、笑ってあげるのが、正解だった。

悲しいことや可哀想なことがあった時に、笑ってあげる。
平成になって、それまで「笑っちゃ、悪いよぉ」と言っていた場面で、
人は笑うようになった。
今まで「ドンマイ」と言っていた場面で、
人は、あえて傷口をいじるようになったのだ。
最近、「ドンマイ」が消えつつあるのは、
「ドンマイ」が、可哀想さを肯定する言葉だからだ。

昭和の人達は、人の扱いがとにかく雑で、
「ブス」とか「デブ」とか、
大人でも、平気で人を否定する言葉をかけていたけど、
同時に、そこに生まれる可哀想さをごまかすことはしなかった。
貧乏という目に見える悲しさが日常にあったからか、
悲しいこと、可哀想なことがあることを受け止めて、
人に、やさしく、「ドンマイ」と声をかけていた。
「(可哀想なのは確かだけど)別に、気にすんな」と。

それに対して、今の人は、可哀想さを認めない。
可哀想な状態を、すぐに笑いに変えようとする。
今、顎が外れた友達に「ドンマイ」と言ったら、
「ドンマイじゃねえよ!」とキレられる恐れがある。
顎が外れた人に「ドンマイ」と言うことは、
その人の可哀想さに追い打ちをかけることになるのだ。
もうすでに可哀想な状況になっているのに、
「ドンマイ」で、それを再確認してどうする!?
平成以降の「ドンマイ」は、嫌味にしかきこえない。

日本人が勝手に作った和製英語「ドンマイ」は、
今、勝手に、滅びようとしている。
一時は、誰もが使う言葉だったのに、
今は、嫌味でしか使われなくなった言葉。
英語圏の人たちに、一度も知られることも使われることもなく消えていく、
可哀想な和製英語たちよ。
「ドンマイ!」