ハングリー

小学生の頃、友達の家で、
当時出始めだった「マリオカート」で遊んでいると、
友達が、戸棚を開けて、キャラメルコーンを出してくれた。
でも、友達が戸棚から出してくれたのは、
未開封のキャラメルコーンではなく、
昨日か一昨日に食べた残りのキャラメルコーン。
それはとてもショッキングな光景。
僕が驚いたのはもちろん、食べかけを人に出す神経ではなく、
お菓子を一回開けたのに、途中で食べるのをやめられた精神力。

小学生の時は、いつも、とにかく、お腹が減っていた。
家に帰ればまず冷蔵庫を開け、戸棚を開け、
戸棚の上を探り、壁をよじ登って、食器棚の上を覗き込んで、
親が子どもの目の届かないところに隠したお菓子を探した。
兄弟が家にいる時は、肩車して家中を探し回り、
どこかにあるだろう食べものを探し回っていた。
兄弟がまだ帰ってきておらず、
ひとり、忍者のように壁をよじ登り、
運良くスナック菓子を見つけた時などは、
調子にのってテレビを見ながらパクパク食べてしまい、
「他の兄弟の分は残しておく」という基本ルールを忘れて
最後まで平らげてしまうこともあった。
そんな時は裏庭に行き、焼却炉で”証拠”を隠滅した。
カールのおじさんもカラムーチョの婆さんも、よく燃えた。

でも、そんなの、当時はどこの家庭でも見られる当たり前の光景だと思っていたのに、
その友達は、キャラメルコーンを食べるのを自発的にやめて、
次の日のために取っておいたのだ(彼には兄弟がいなかった)。
お菓子の袋を開けたのに、途中でやめて、明日にとっておける余裕。
そんなことができる子どもがこの世にいるんだと思った。
びっくりしすぎて、とても、マリオカートどころではなかった。

アップルの創始者・スティーブ・ジョブズは大学での講演の中で、
「Stay Hungry, Stay Foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」
と言った。
その「ステイ・ハングリー」はもちろん
「お腹ぺこぺこであれ」という意味ではないが、
なにかを欲する”渇望”は、「お腹が空いた時の渇望」と同じように、
なにかが「足りない」ことからしか生まれない。
国や文科省は『新学習指導要領』で今も「生きる力」を謳っているが、
「生きる力」ってのは、満ち足りた状況で生まれたりもするのだろうか。
「生きる力」ってのがそもそも広すぎてよくわからないけれど、
「生きようとする力」は、満たされた人には生まれないだろうと思う。

人はいつだって自分に足りないものを他のもので埋めようとする。
「恋人」で埋めたり、「金」で埋めたり、「ブランド物」で埋めたり、
「本」で埋めたり、「夢」で埋めたり、「フォロワー数」で埋めたり。
時代が変わっても、思春期の子どもってのは、
何かしら不満と欠乏を抱えているもので、
その欠乏感が、子どもの「生きようとする力」を育んでいる。
今より確実にモノのない時代に生きた大人が、
腹ペコだった子ども時代を思い返した時に、
それが、そこまで悲しい思い出でないのであれば、
子どもに、そんなに多くを与えないでほしい。
これから生きていくのは、子ども自身。
「生きようとする力」をつけてほしいのなら、
「足りない」くらいでちょうどいい。
子どもに与えすぎても問題ないのは、
カルシウムと愛情くらいなもんだ。