ビワ的なもの

「ビワ的なものが屋上に落ちてました」
と、高校生が先生に言っているのが耳に入り、
「ビワ的なもの」っていうのは、
「ビワ」なのか、「ビワじゃないのか」どっちだろうと考えていると、
落語家・立川志の輔の新作落語
「バールのようなもの」が頭に浮かんだ。

噺の筋は、男があるニュースで耳にした、
『被害者は「バールのようなもの」で殴られた』というフレーズから、
「バールのようなもの」が、バールかどうかを考え始め、
「バールのようなもの」がバールじゃないとしたら、
「女のような男」は女じゃないし、
「夢のような話」は夢じゃないし、
じゃあ、『「妾のような女」も妾じゃないよな!?』と、
話が転がっていく。

「バールのような」の”ような”は、推測の”ような”で、
「女のような」の”ような”は、比喩としての”ような”なので
使われ方が違うのだが、
バールの”ような”にしても、ビワ”的な”にしても、
日本人は、はっきりした物言いを好まないので、
すぐに語尾を濁したがる。
今の高校生が「・・・的な」という前の高校生は、
「・・・って感じです」と、
違う言い方で、語尾を濁していた。

語尾を濁したいのは、
日本人的な謙遜や慎ましさでもあるようで、
甲子園予選の決勝を控えた高校球児が、テレビのインタビューで、
「優勝します」と力強く言いたいのをぐっとこらえて、
「優勝できるよう頑張ります」と言っていた。
この国では、あまりはっきりものを言ってはいけない。

「バールのようなもの」がバールかどうかという噺で
30分以上観客を引き込める志の輔さんは、
高座にあがる前、相当な準備をすると、雑誌のインタビューで語っていた。
しっかりとした準備をして、足を運んでくれたお客さんに、
「感動に似たものを与えたい」のだと。
そう。
与えたいのは「感動」ではなく、「感動に似たもの」。
「俺はお客さんに”感動”を与えたい」と断定させない何かが、この国にはある。
志の輔さん、「感動に似たもの」って、
感動ですか、それとも、感動じゃあないんですか?