フィル・ナイト

ナイキの創業者フィル・ナイトが書いた自伝「shoe dog」が面白い。
自伝でありサクセス・ストーリーなのだけど、
サクセスを強調するための物語ではなく、
小さな紆余曲折が詰まった物語なので、読んでいてつっかえることがない。
主人公が、ヒーローではなく、人間臭い嫌な奴であるのもいい。
こういった小さな紆余曲折の先に今のナイキがあると思うと、
未来とは今の積み重ねだなあと思い知らされる。

ナイキはもともと日本のシューズメーカー「オニツカタイガー」の販売店をやっていた関係で、
本の中にはたくさんの日本人が登場する。
「オニツカタイガー」の重役の一人・キタミは、
弱者に横暴だが、強者には媚へつらう、
日本人の悪いところを集めたような男で、
ナイキを窮地に追い込む悪役として描かれている。
逆に、ナイキが資金繰りに困った時、ナイキを救ったのは、
ニコリとも笑わない寡黙な日本の商社マン(日商岩井)・イトーで、
ナイキがアメリカの銀行から口座を止められ、潰されかけた際、
銀行からの借り入れを全額肩代わりして、ナイキを救う。
そして、ナイキを潰そうとする銀行が日商岩井とのビジネスを模索していることを知るイトーは、
「時間の無駄だからやめたほうがいい」と銀行に冷たく言い放つ。
それを聞いて、窮地を救われたフィル・ナイトは、
「見たか、これが日本人だ!」と、自分を潰そうとしたアメリカ人に対し、心の中で叫んだ。

「shoe dog」には嫌な日本人もかっこいい日本人も登場するが、
フィル・ナイトが彼らに出会ってから20年以上経った今、
彼らのような日本人は、まだ存在するだろうか。
キタミは、相手の立場によって態度をがらりと変え、
自分が上に立っている時には、とにかく相手を下に見る男だが、
そういう中間管理職は、バブルの頃、日本に多くいたのだろう。
逆に、好意的に描かれているイトーは、
堅実に仕事をこなすが、根底には情と男気を忘れない男。
そういうビジネスマンも、昭和の現場にはたくさんいたはずだ。

もし、バブルが遠い過去になった今、
彼らのような日本人がすでにいなくなっているとしたら、
今の日本にいるキタミやイトーはどういう人物だろうか。
連日、テレビで見る謝罪会見やスキャンダラスなスクープを考えると、
キタミ(悪い日本人)の方は、
倫理にだらしなく、自己中心的な人物としてなんとなく描けそうだが、
イトー(良い日本人)の方は、なんだか想像がつかない。
寡黙で男気あふれるジャパニーズサムライが消えた後の、
かっこいい日本人とはどういう人物だろうか。
この20年で、それまでの何倍もの日本人が世界に出たわけだから、
新しい、クールな日本人像は、どこかで生まれているはず。
これだけ、スポーツ選手や科学者など、個人の活躍は耳にするのだから、
新しいイトーはいたるところにいるはずだ。
だけど、個人が能力を発揮して活躍する話ではなく、
日本人の倫理観や美意識、徳に根ざしたヒーロー像の物語は、
なかなか耳に届かない。
平成のイトーは、どこにいるのだろうか。
あ、もうすぐ、平成も終わるのか。
次の年号のイトーは、どこに生まれるのだろうか。
それとも、誰かが自伝を書かないと、
こういう男は表に出てこないのだろうか。