フォント

一緒に仕事をしている同僚が誕生日だったので、
そっとプレゼントとカードをその人の机に置いておいた。
「男に誕生日はない」という持論を持っている僕は、
男の誕生日はないものとして扱っているが、
女の誕生日には、本人が歳をとることを喜んでいないとしても、
何かしらのお祝いはした方がいいと思っている。
義理でも形だけでもなんであっても、
誕生日はちゃんと祝ってあげた方がいいという考え方は、
アメリカ人から教わったもので、
彼らはサプライズやらデコレーションやら、
いろんなバージョンのお祝いをして喜ばせてくれる。
しかし、色々と頑張って用意するプレゼントや演出に比べて、
プレゼントに添えるカードには、ほとんど関心を示さない。
どれだけ豪華なサプライズプレゼントを用意する時でも、
それに添えられているカードには、
10本まとめて3ドルで売られているような安いボールペンで、
「Happy Birthday」と殴り書きしたように書かれていたりする。
彼らは、生まれてこの方「習字」というものを習ったことがないので、
字を綺麗に書くとか、
字をどういった字体で書くかということに関心がない。
字体まで含めて演出なんだということに、
色々なフォントをウェブ上で選べるようになった今でも、
気づいていないのだ。

手書きで書かれた文字には、デジタルで書かれた文字以上に、
情報がつまっている。
時間をかけて丁寧にまっすぐ書かれた文字なのか、
角の取れた丸文字でフランクに書かれた文字なのかによって
書いている人の伝えたいことは、意味を超えて伝わる。
手紙の内容だけでなく、
フォントによって伝わるものもあるので、
個人的に手紙を書く時は、
どういう文字で書いた方がいいか逡巡したりするのだけれど、

彼女にあげる手紙を書く時に、
彼女が好きな作家の文体を真似して書いていた京都の友達に比べれば、
なにも逡巡していないに等しい手紙の書き方だと思う。

その京都の友達は手紙を書く時に、彼女が好きな作家の文体を真似て、
本から引っ張ってきたフレーズをつなぎ合わせながら、
コラージュのように、替え歌をつくるように、
作家の文体の上に、彼女への想いを乗せていた。
手紙を読んだ彼女の心に一番届きやすい文体で書くという彼の心意気は、
なによりの演出だなと思った。
そして、その演出を「余計な演出」だと、彼女が思っていたという話を聞いたのは、
二人が別れた後だった。

フォントにしろ、文体にしろ、
手紙の内容以上に伝わる部分があるからこそ、
慎重にならなければいけない。
丁寧に書きすぎたカードは、想いのこもったカードだと思われるし、
乱雑に書きすぎたカードは、やっつけで書いたカードだと思われる。
同僚の誕生日カードを、どういうフォントで書くべきか逡巡した僕は、

パソコンに向かい、明朝体の18ポイントでタイプした紙を、プリントアウトした。
「誕生日おめでとう」
「余計な演出」は、なに一つ、いらないのだ。