マスク

「保育園児もマスクをつけろ」
そう厚労省のトップが言ったそうな。
勘弁してほしい。

その発言を聞いて、この人は文系かなと思って調べてみたら、法学部だった。
やはりな。
言葉は悪いが、法学は、「赤」を「黒」とも「青」とも主張できる人である。
弁護側につけば擁護するし、検察側につけば非難できる。
同じことをどっちからでも言える人である。
「マスクをつけろ」とも「マスクをつけるな」ともどっちでもいいと思っている可能性がある。

文系の考え方は、例えば、「手を洗ってないのに洗ったことにできる」とする傾向がある。
認識や定義で、洗ってないともいえないし、洗ったともいえると。
しかし、ウィルスは文系相手に動いているわけではない。
洗ってなければ、流れ去ることもない。

理系のいいところは、「理」を相手にしているところである。
駄目なものは駄目と、「道徳」ではなく「道理」によって言える。
「道理」とは、自然の摂理のことで、人間の意思でどうにかできる分野ではない。
「洗わないと、ウィルスは手についたままでしょうね」
理系は、ごまかしがききにくい。

しかし、厚生労働大臣の発言の裏には、大臣に意見している専門家集団がいるはずである。
彼らは、理系の集まりである。
理系が集まっても、それが社会への応用になると、自然の理だけの話ではなくなるため、一筋縄ではいかなくなるのだろうと推測する。
保育園児がマスクをすることに理がなくても、理があることにしちゃうのかもしれない。

そう考えれば、理系は「人間の意思でどうにかできる分野ではない」といったが、
理系の中でも、工学系など応用分野になれば、そこに、より人間の意思が入ってくる。
「自然は自然なんだからしょうがない」と思わずに、「自然も人間の意思によってどうにか応用できるはず」と、そこに「ガンバリズム」が入り込む余地が増える。

文系でも同様に、文学なんかの分野では、「言葉」を操作できるものとはみなさない。
言葉は人が作ったものではない。
人が操作的に扱えるものではなく、人は言葉の中でしか考えられない。
そこでは、言葉に「理」のようなものを見、理系がウィルスを見るのと同様、道理なんだから、人にはどうしようもないと考える。
そこにごまかしはきかない。

そう思えば、「洗ってないのに、洗ったことにする」姿勢は、理系か文系かではなく、基礎分野か応用分野かの違いということになる。
政治は、応用中の応用である。
白いネコと黒いネコの生態の違いを研究するのが学問だが、「白いネコでも黒いネコでもネズミを捕まえるのが良いネコだ」というのが政治である。
政治は、自然法則に関心がない。
ただ、応用だからといって、法則や道理を無視していいわけではない。
応用は個々のケースが千差万別だが、その種々の違いのなかに共通の「正しさ」を求める。
「基礎」は、この世に存在する「法則」を見つけようとし、「応用」はこの世にある「善」を追い求める。

なにが善きことなのか。
なんのためのマスクか。
誰のための政治か。
保育園児にマスクを強いるのは何を守るためなのか。
大臣と大臣の周りの博士たちはそのことをきちんと表明する必要がある。