モンテッソーリ

将棋の藤井聡太四段の連勝が、29で止まった。
若き才能の快進撃に、メディアは彼の一挙手一投足を追い、
対局時の出前に何を頼んだかまで詳細に伝えてくれる。
その加熱ぶりはすさまじく、
彼が小さい頃、知育玩具で遊んでいたと言えば、
そのおもちゃがバカ売れし、
彼が対局中チョコレートを食べれば、
チョコレート会社が、大量のチョコレートを送ってくるフィーバーぶりだ。
そんな報道の中で知ったことの一つに、
藤井四段がかつて、幼稚園でモンテッソーリ教育を受けていたということがある。

モンテッソーリ教育は子ども用の教具を使う幼児教育として有名で、
感覚的に学ばせることを通じて、自立した人間を育てるという独特の教育法だ。
イタリアで生まれたモンテッソーリ教育は、
日本でこそ全幼稚園の2%ほどでしか採用されていないが、
アメリカでは一部の公教育にも導入されており、
Amazonの創業者もgoogleの創業者二人も、wikipediaの創業者も
皆、モンテッソーリで育っている。
モンテッソーリ幼稚園を見たことない僕は、
モンテッソーリ教育の是非について思うことはないけれど、
藤井四段の活躍は、何よりの宣伝になっただろうなと思う。
思えば、羽生九段が快進撃を繰り広げていた数十年前、
羽生さんは「公文式」の最高の広告塔だった。
もし、モンテッソーリが株式会社だったら、
必ず、藤井四段にCMのオファーを出していたことだろう。

モンテッソーリ教育がどれほど独特なのかは知らないが、
普通の保育園であっても普通の幼稚園であっても、
人を育てる際には、なんらかの考えがそこには存在する。
その幼稚園にまったくなんの特色がないように見えても、
日本の常識や地域の世間感覚に沿った
「思想」や「哲学」のようなものは必ずある。
誰かを育てたり教育したりする時には、
敢えて、モンテッソーリ教育法やドイツのシュタイナー教育法を施さなくても、
必ず、なんらかの教育法を施していることに代わりはない。
ただ、それが日本でマイナーな教育法なのか、
メジャーな教育法なのかの違いでしかない。

藤井聡太フィーバーのおかげで、
まちの将棋教室に生徒が増えているとも聞くので、
多分、将棋教室だけでなく、モンテッソーリ幼稚園にも、
入園希望者が増えているだろう。
藤井聡太四段の能力が幼稚園だけのおかげではないにしろ、
万が一にでも、我が子がああいうふうになってくれる可能性があれば、
モンテッソーリ幼稚園に賭けるお母さんがいてもおかしくはない。
どの幼稚園に行かせるにしても、
なんらかの教育法は施されるわけだから、
その淡い「万が一」にかけることは、そんなに変なことではない。
ただ、モンテッソーリ教育は、子どもたちが「安心して」自由に遊ぶことや、
環境の中で「安心して」ありのままに自分を出すことを、重要視する。
子ども達が「安心できる」環境がなによりも必要。
それは、教育法の話ではなく、たぶん、「愛情」の話。
特別な教育法を受けさせればわが子の特殊な資質が開花するかもしれない。
そんな淡い期待を描く前に、
子どもが安心して生きるための「愛情」をちゃんと与えていますか。
モンテッソーリ教育は、そう問いかける(と想像する)。
教育法や育児法など世の中にたくさんのメソッドはあっても、

メソッドはどこまでいってもメソッド。
同じメソッドを施したからといって、同じ結果がでるわけではない。
藤井聡太はただ一人。
僕もあなたもあなたの子どももただ一人。
同じ教育法を施したおかげで同じ大人になるほど、
子どもは単純にはできていない。