ユーモア

欧米人は「ユーモア」を非常に重要視する。
特に、壇上でスピーチをする際には
絶対にユーモアある人だと思われたいようで、
普段いたって真面目な人でさえ、必ず冗談を織り込んでくる。
日本人の「礼儀正しさ」と同じくらい
「ユーモア」が、必要不可欠なものだと思われている。

ユーモアを日本語に訳そうとすると、
「諧謔(かいぎゃく)」というワードになる。
気軽にLINEで打つ気にならないような言葉は、
日本人に馴染んでいない証拠。
日本人は、まだ「ユーモア」をモノにしていない。
欧米でいう「ユーモアのある人」を日本語に訳そうとすると、
そのまま「ユーモアのある人」とするか、
「おもしろい人」と訳すのだろうが、
「ユーモアのある人」と「おもしろい人」も、また違う。
日本人が思い描く「おもしろい人」というのは、
「お笑い芸人」のような人で、
「ユーモアのある人」というのは、
三谷幸喜さんみたいな人だ。

「おもしろい人」と「ユーモアのある人」がぴったり重ならないのは、
「おもしろい人」が、「人を笑わせる」のに対して、
「ユーモアのある人」が、人を笑わせると同時に、
その人自身を笑わせているからだ。
「お笑い」は、聞いている人がいないと成立しないが、
「ユーモア」は、ひとり言でも成立する。
「ユーモア」は、人を笑わせることというよりは、
世界の見方のようなものであって、
生きる姿勢のようなものなのだ。

アメリカ人の心臓外科医・バーナード・ラウン氏は著書の中で、
ユーモアのある患者の強さを書いている。
ユーモアのある患者は、自身の状況を客観的に見ることができ、
病気に向き合う強さがある。
そういう患者は、無駄に悩んで、自分から悪くなったりしない。
ユーモアが大切なのは、
ユーモアを言うことで周りをハッピーにするからではなく、
ユーモアが、その人自身を助けてくれるからだ。

日本の学校は「英語」や「世界史」で
外国の言葉や歴史を教えてくれるが、
「ユーモア」という、外国人の「生きる姿勢」までは教えてくれない。
「勤勉さ」や「協調性」など、
日本の社会が重要視している「姿勢」は、
無意識に子どもたちに伝わるが、
それらの姿勢だけでは打破できない問題に直面することもあるだろう。
その時、問題を解決するきっかけになるのは、
日本ではなく、外国の生きる姿勢である「ユーモア」だったりする。
「ユーモア」
日本人は、早急に、これをモノにしなければいけない。
そのためにも、
一刻も早く、「ユーモア」のいい訳語を、誰か考えてほしい。