ロベール・クートラス

大阪で「ロベール・クートラス展」がやっている。
クートラスは、静謐さ、寡黙さを感じさせる作品を数多く残した
孤高の画家だ。
若い頃、パリの画壇で華々しく売り出されるも、
当時の売れる画風に背を向けたことで契約を打ち切られ、
その後は困窮生活の中で、創作活動を続けた。
画材道具も買えない貧困生活の中で、
ひたすら自分の内面と向き合い続けたクートラス。
死ぬまでの17年間、
毎晩「カルト」と呼ばれるカード大の大きさに描き続けた作品群は、
最終的に、6000枚を超えていた。

友人である画家のヤンケルは、
クートラスの死後、こう語っていたという。

「クートラスはロマネスク時代の存在なんだよ。
彼は12世紀に生きてればよかった。
今の時代はこうした孤独な夢想者(中略)になんか見向きもしない」
20世紀に生きたクートラスは、
生きているうちに十分な評価を受けることがなかった。
ヤンケルのいうように、もし彼が12世紀に生きていれば、
もっと楽に生きていけたのかもしれない

クートラスを近くで見ていた友人の言葉は本心からくるものだろうが、
「生きる時代を間違えた」ということは本当にあるのだろうか。

時代が違えば世に認められたであろう人というのは確かにいるが、
それでも、
クートラスは12世紀でなく、20世紀に生まれた。
クートラスが12世紀に生きていれば、
もしくは、より報われた人生だったかもしれないが、
毎夜毎夜、自分の生と向き合い、
6000枚の「カルト」を描くこともなかったろう。
「生きる時代を間違えた」ということはありえないのではないかと、僕は思う。
なんらかの意味があって、
彼は20世紀のパリに生まれたのだろうと思うし、
同時に、たまたま運悪く、
12世紀に生まれなかっただけなのだろうとも思う。
でも、どちらにせよ、クートラスは20世紀に生まれた。
それだけが確かなことだ。
その時、偶然(たまたま)とは、必然を意味する。
自分の預かり知らぬところでそうであったということは、
偶然であり、そして、必然だったということだ。
クートラスの生涯がいかに不遇だったとしても、
クートラスは生きる時代を間違えてなどいなかった。
クートラスは、”20世紀に生きた”のだ。