元ネタと元元ネタ

和歌には「本歌取り」という手法がある。
以前詠まれた有名な歌を基にして歌を作る技法だが、
最近の短歌ではあまり使われなったという。
理由は単純で、短歌を聞く側の人が「本歌」を知っているという
そもそもの前提が崩れたからだ。
つまり、「元ネタ」が共有されなくなったのだ。

元ネタが共有されないと、それを基にした笑いや面白みは伝わらない。
それは時に、ジェネレーションギャップとして表れたり、
外国人とのディスコミュニケーションとして表に出たりする。
この前、小学生とサッカーをしていてキーパーをやらされたので、
PKの際、手を広げて「シジマール!」と言ったのに、無視された。
30代の男子には言わずもがなだが、
シジマールとは、Jリーグ創設期にいた手の長いキーパーのことだ。
Jリーグの1年目を知っている人なら笑ってくれる話も、
20年たつと、反応さえしてもらえなくなる。

元ネタに関わるのが笑いだけならいいが、
金が関わってくると、話は込み入ってくる。
以前「ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト」というものがあり、
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の中のシーンを実現しようと、
ロケットで運んだ槍を実際に月に刺そうとしたのだが、
宗教方面からの批判もあり、未達成に終わった。
ロンギヌスの槍とはもともと、
キリストの死を確認するためにキリストの脇腹に刺した槍のことで、
そのような多分に宗教的な槍を、まだ誰のものでもない月に刺すのはどうなのかという批判だった。
月に刺す槍といっても、たった直径24センチのおもちゃだったのだが、
アニメファンが持っていた「元ネタ」と、
宗教に配慮する人が持っていた「元元ネタ」の差は大きく、
結局、目標の1億円は集まらなかった。

今、ウェブ上でも「リアル社会」でも
色んな趣味のコミュニティーが多く出来ているが、
そこでは、学校や会社の人々と共有されない元ネタも気兼ねなく話せるという気楽さがある。
小学生の頃、同級生に対して何の躊躇もなく、
練り消しやプロ野球カードについて話せていたように、
特定コミュニティー内では、前提知識を共有した会話ができる。
それがオタク界隈の楽しさ。
前提知識が共有されていればいるほど、ディティールの違いを楽しむことができる。
漫画家の水木しげる先生は生前、
紫綬褒章受賞の式典になぜか大きなシルクハットを被って出席したのだが、
それが民俗学者・南方熊楠のコスプレだということに気づくものはいなかった。
当時から「南方熊楠」という前提知識は国民には共有されていなかったし、
「コスプレ」という前提知識は、まだメジャーではなかった。
「南方熊楠のコスプレ」というパフォーマンスは、
日本人にはちょっと早かったのだ。

元ネタを使った行為は、常に見る側に多くを求めてすぎてしまう。