地蔵尊

愛媛県・松山駅前に、「日切り地蔵尊」という地蔵尊がある。
駅前の商店街の一角にひっそりと佇むこの地蔵尊には、
数十体のお地蔵さんが鎮座しており、
立地がいいからなのか、地元に愛されているからなのか、
昼間からずっと、線香の煙が絶えない。

「お日切りさん」の愛称で知られているこの地蔵尊の起こりは、
戦国時代にさかのぼる。
知善得業という名のお坊さんは、
一体の地蔵を背負って巡礼にでかける。
やがて、伊予国道後に立ち寄った際、突然病に倒れるが、
九死に一生を得て、快癒。
「これ誠に地蔵尊のご加護」と、
この地に寺を建立し、地蔵尊を泰安したのだという。

地蔵を背負って旅に出て、
病気になったけど、治ったから、地蔵に感謝して寺を建立した。
それだけ聞くとなんだか不思議な話で、
そもそも地蔵背負って歩いてるから病気になったんじゃないかとか、
病気になったことは地蔵のせいにせず、
治ったことだけを地蔵のおかげにするんだとか、
疑問はたくさん湧いてくるけど、
「いいことがおきたから、地蔵に感謝だ」という考え方は、
最近、とんと聞かなくなった考え方だなと思う。

武士にしろ領主にしろ商売人にしろ、
未来が不安定な業種の人たちは、
神や仏に「うまくいきますように」と願い、
うまくいったら、それらに深く感謝してきた。
うまくいくためには、運や加護が必要。
勝負は時の運であり、
金は天下の回りもの。
当時の人は、当たり前のように、そう考えていた。
自分以外の力の大きさを感じていた人たちは、
うまくいった際に、自分以外の力に感謝して、
地蔵尊や寺や神社を建立してきた。

自分に起こったいいことを神や仏のおかげだと思わず、
自分の実力で勝ち取ったものだと考えるような時代になって、
人は、寺も神社も建立しなくなった。
上場したスタートアップ企業のCEOが、
駅前に新しく地蔵尊を建立したというニュースは聞かない。
逆に、経営者や政治家や芸能人が、
新興宗教や占い師に頼っていると聞くだけで、
「かわいそうに、洗脳されているんだ」と思ってしまう。
うまくいったことを自分の能力のおかげだと思わずに、
運や加護のおかげだと思うのは、別に変な話ではないし、
歴史的には、ずっと当たり前だったのに。
(その当たり前を利用して、
 人を騙す新興宗教や占い師がたくさんいるのだろうけど)

うまくいった時に、
自分以外の何かに感謝しなかったら、
いったい、誰に感謝するんだろう。
成功して大きな金を手にできたことを自分の手柄だと思ってしまったら、
過去の自分に感謝して、
未来の自分に投資するくらいしか、金の使いみちがない。
「金は天下のまわりもの」
そう思っていたから、
成功した人は金をかけて、寺社仏閣を建立したのだ。
過去の自分に感謝して、自分の中だけで金を回していても、
金は天下にまわらない。
日本の景気がこの数十年パッとしないのは、
うまくいった人が地蔵尊を建てなくなったからだ。
まずは、街なかの駐車場を、すべて地蔵尊に変えよう。