学ぶは真似ぶ

 

「学ぶは真似ぶ」というよく聞くフレーズがある。
日本の学校教育は、元来、習字にしろ素読にしろ、
真似させたり、手本をなぞらせたりすることが多かったが、
大人になると、人を真似するということがなくなる。
前任者がやっていた仕事をそのまま惰性で真似することはあっても、
身体を使って、誰かを真似するってことはめっきり減ってしまった。

昨日、『尊敬すること』について書いたけれど、
尊敬する人というのは、「真似したい人」のことで、
真似するなら、まずは形から入るのが一番だ。
坂本龍馬を尊敬している人は、
あの有名な龍馬の写真のように、台に寄りかかって、
目を細めて遠くを見つめれば、龍馬の「姿勢」がどうだったか感じられるし、
チェ・ゲバラを尊敬している人は、
あの有名なゲバラの写真のように、髭をたくわえて、
遠くを力強く見つめてみれば、ゲバラの「目線」がどうだったか感じられる。
(英雄は、遠くばっかみてるなぁ)

今の教育は、(大人の教育も含めて)、
自分を客観視させようとばかりしていて、
自分を消すということをしない。
日本の伝統芸能では、舞や演技を覚える時に、鏡を使わないらしいが、
それは多分、
本番で、演者が舞台上から見ているのが「共演者」や「観客」であって、
「鏡に映る自分自身」ではないからだ。
本番で見ることのない「自分」を稽古の時にいくら見たって、
稽古のための稽古にしかならない。
大切なのは、自分を消して、「手本」と同期させること。
外からの視点を持って、自分を客観視することではない。

「鏡の前」に立つのではなく、「手本の横」に立って、
手本と同じ景色をその目に映す。

そして、手本の顔を観察しながら、自分の顔を手本の顔に寄せ、
手本の腰を見ながら、自分の腰を手本の腰に寄せる。
そうやって、手本の「形」を真似ていけば、
なんとなく手本が感じていることがわかってくる。
大人はその体験を忘れているので、人を真似する人を馬鹿にするが、
子どもの頃を思い返して、誰かの顔を、もう一度、真似てみてほしい。
坂本龍馬でも、チェ・ゲバラでも、アンパンマンでもなんでもいい。
アンパンマンの目や口や鼻をもう一度よく観察して、
自分の目や口や鼻を、アンパンマンのそれに寄せていけば、
だんだんとアンパンマンの気持ちがわかってくる。
同じように、食パンマンの眉毛に自分の眉毛を寄せていけば、
食パンマンの「二番手の悲哀」がわかるようになるし、
カレーパンマンのあの口に自分の口を同期させていけば、
カレーパンマンの「三番手のやるせなさ」も感じられるようになる。
僕らは以前、真似から入って、色んなことを学んでいた。
いくつになったって、学びの基本は変わらない。
「初心忘れるべからず」だ。