新鮮な本

図書館の机にドサッと本が積み上がっている。
なんでもどこかの財団から科学に関する本を100冊寄贈してもらったのだそうで、
巨大な図鑑から新書、絵本まで、新品の本が机の上に散らばっている。
どれどれ、どんな本だろう。
タイトルを眺めながら、手に取った本をぱらぱらとめくっていくと、
なかなかおもしろい本がたくさんある。
若者に科学の面白さを伝えるための100冊なのだそうで、
いろんなジャンルの科学の本があり、ページをめくる手が止まらない。
「あのー、それ、貸出の手続きやってる最中なんですけどぉ」
司書さんが後ろでなにか言っているが、
生返事をして、聞こえないふりを決め込む。
この100冊を選んだの誰なんだろう。
いいセレクトだなあ。
そう思いながら、机の上に置かれたダンボール箱の中にまだまだある、
インクの匂いのする本たちを手にとっては、貪るように読んでいく。

「あのぉ、そろそろ閉館時間なんですけどぉ」
司書さんの声で、そういえば図書館って閉まるんだったと思い出し、
ふと時計を見上げると、時計の針はもう19時を過ぎていた。
外はとっぷり暗くなっている。
夕方に出なければいけない会議ももう終わっている。
どうやら図書館は時間の流れが早いらしい。
仕方がないので、まだ目を通していない本をメモに取り、
貸出ができるようになったら借りる本をチェックしておく。
こんな本をただで寄贈してくれるなんて、
世の中には金が余ってるんだなあ。
そう思いながら、司書さんにお礼を言い、図書館を後にした。

その一週間後、再び図書館を訪れると、
図書館の一区画に「科学へのいざない」コーナーができていた。
背表紙にラベルの貼られた科学の本たちは、
装飾ペーパーで縁取りされた棚の中にきれいに整列していた。
もう貸りてもいいのだと、
ポケットから1週間前にメモした借りるべき本リストを出し、
本棚の中に並べられた本のタイトルを右から左へ、
リストの中の本と照合しつつ見ていると、
自分の中に湧き上がるある気持ちに気付いてた。
なんだろう。
まったくもって、食指が動かないぞ・・・。
一週間前、あれだけ興奮して読んでいた本たちに、
なぜか、まったく興味が湧いてこない。
借りたいとも読みたいとも開きたいとも思わない。
一週間前にたまたま広場であって仲良く遊んだ友達に一週間ぶりに会ったら、
よそ行きの服着て、すましてしてそっぽを向かれた時のように、
まったく、本がこっちを見てこない。
その理由は明白。
本がきれいに並べられすぎているのだ。
まだ貸出前で、ダンボール箱の中にドサッと積み上げられていた時には、
俺を読めよ、俺を読めよと、
さんざんアピールしてきた本たちも、
ラベル順にきれいな本棚に収納され、
「科学へのいざない」コーナーにきちんと収納された後では、
スカした顔して明後日の方向を見ているしかないのだ。

「本はタイミング」だと言われる。
それは、本に何が書かれているかではなく、
どうやってその本と出会うかが大事だということを言っている。
それは多分、本に限らない。
歴史に残る名画を、警備員に守られたモダンな美術館で見てもなにも心が動かないのは、
その絵画との出会いが仕組まれたものだからだ。
逆に、素人が奏でる下手くそな音楽に心揺さぶられてしまうことがあるのは、
その出会いが、偶然だからだ。
偶然は、いつも、進行形で、
偶然は、いつも、いきいきしている。
ダンボール箱の中に散らかっていた頃の本たちは、
俺を読むなら、いまだぜ!
と氷の入ったトロ箱の中の魚ばりに新鮮さを僕に訴えてきたが、
本棚に収まった本たちは、みな、干物の顔をして並んでいる。
干物になった本は、いますぐに読む必要はない。
借りるべき本リストをポケットにしまい、なにも借りずに図書館を出た。
図書館を出ると、司書さんがたまたま外にいて、
「あら。あの科学の本、もう借りれますよ」
と声をかけてきたので、
「本って、棚に入った瞬間、死んじゃいますね」
というと
「それ、図書館の司書に言う?」
と呆れられた。
確かに失礼なこと言ってしまった。
棚に入っていない図書館ってあるのかな・・・。