晩婚化の影響

人は当たり前のことになかなか気づかない。
だから、「ものが落ちる」とか「色がある」とか「ことばがわかる」とか
皆が当たり前だと思っていることに気付いて究明していった人のことを、
偉い人として歴史に残す。
「ものが落ちる」とか「色がある」とか「ことばがわかる」というのは、
この世や人類としての「当たり前」=不思議のことだけれど、
自分自身についての個人的な「当たり前」についてさえ、
ぼくらは全然気づかない。
「親に面倒見てもらっている」ということに気づくのは、
親に面倒見てもらわなくなってからだし、
「おいしいものってこんなにおいしいんだ」と気づくのは、
病気になって食事を制限されてはじめてだ。

歳を重ねれば重ねるほど、世の中や自分のことが見えてくる。
30歳の人は、自身の30年を振り返って理解することがあったとしても、
50歳の立場から、今の「3/5地点」を振り返って見たりすることはできない。
「未来」はいつもおぼろげで、
はっきりと見えるのはいつも「過去」でしかない。
30歳の人は自身の立場を「現在」としてしか見れないが、
50歳の人は30歳の人を「過去」として見ることができるので、
30歳の人に向かって、客観的に、「3/5目線」でアドバイスすることができる。

どの年齢であっても人は「現在」しか生きることができない。
ただ、子どもは「過去」がない分、余計に「現在」を生きている。
その子どもにアドバイスをするのが大人の役目なんだけれど、
どうしても子どもに対する見方というのは、
子どもを見ている大人の年齢によって変わってくる。
50歳の目に映る中学生と
25歳の目に映る中学生は違う。

日本では晩婚化が進んでいると言われている。
耳が痛い。
子どもに一番影響を与える大人は親に違いないけれど、
晩婚化が進むということは、
お父さんやお母さんが以前よりも歳をとっているということだ。
平均年齢がどれくらい上がったのかは知らないが、
小学生の頃、平均で35歳だった親たちが、今後45歳になるとしたら、
親たちは、10年分歳を取った”ものの見方”で子どもたちを見るようになる。
それが子育てにどう影響してくるのだろうか。
35歳ではピンときていなった「保険の大切さ」も、
45歳になると、リアルなものとして考えることができる。
「親の介護の大変さ」や「お金の大切さ」も、
中年の10年間を経験しているといないとでは、だいぶ変わってくるだろう。
そのことが子どもに与えるいい影響ももちろんあるんだろうけど、
日々接している「草食化」「地元志向」な子どもたちを見ていると、
これからますます親が高齢化していった場合、
「お金」や「安定」や「保険をかけることの大切さ」を既にわかった親たちに育てられた子どもたちは、
より、リスクをヘッジする方向に動くんじゃないだろうか。

実際は、人の考え方は年齢だけで左右されるわけではないから、
たいした問題にならないのかもしれないが、
日本全体が高齢化していくのは確かなので、
子どもと大人の年の差問題は、無視できなくなってくるだろうと思う。

子どもが接する大人というのは親と先生が主だ。
昼間の間ほとんど子どもと接している先生は、ほぼ公務員なので、
「安定の大切さ」をよく知っている。

直接的に子どもたちにそのことを言うわけではないが、
言葉の端々に「安定」を土台にした考え方が見え隠れする。
だから、親かそれ以外の大人が「不安定の大切さ」を教える必要がある
子どもの周りの大人が誰ひとり「不安定の大切さ」を口にしないと、
子どもは、「安定の大切さ」を「当たり前」のこととして受け取ってしまう。
べつに「安定が大切じゃない」と言いたいわけではないが、
「安定の大切さ」を当たり前だとしてしまうと、
不用意に「不安定」を恐れてしまう。
いのちを含むこの世のシステムは「安定性」と「不安定性」の上に成り立っているので、
片方だけ目をつぶるわけにもいかない。
学校では「ものが落ちる」とか「ことばがわかる」などの
「当たり前」を発見・解明した人たちの知をもとに授業をしているのだから、
「当たり前」に気づく大切さを忘れてはいけない。
この世には、当たり前に、「不安定さ」がある。
そして、先生や親以外の子どもの周りの大人は、
先生や親が子どもにいいそうなことを念頭に置いて、
それとは別の、
子どもが「当たり前」に気づくような言葉をかけていかないといけない。