歯の川柳

「歯」に関する川柳を高校生が作っていたので、
ついでに、僕も作ることになった。
去年の表彰作を見せてもらうと、
小学生でも作れそうな、まっすぐな作品が選ばれていたので、
奇をてらわないように、気をつけて、簡単な川柳を作る。
「永久歯 今日から僕も お兄ちゃん」
まあ、こんなもんだろう。
小学生ののびのびした感じが伝わってくる。
これで、今年の「歯の川柳大賞」は僕のものだ。

小学生の頃、人権に関する川柳を作るという宿題があった。
宿題を出された時、家に帰ってから考えるのが面倒くさくなり、
その場で思いついた5・7・5を紙に書いて出したら、
なぜかそれが優秀賞に選ばれ、
その後2,3年、ずっと学校の廊下に張り出されていた。
片手間に書いた川柳をみんなに見られるのは恥ずかしく、
その川柳の横を通るたびに、
ひとり、心の中で、言い訳をしていた。
いや、こんなもんじゃないんだ。
これは、全然、本気出さずに書いた川柳なんだ。
でも、そんな言い訳をしようがしまいが、
友達は、誰も、その川柳について興味を持ってくれず、
一度も、褒めてもけなしてもくれなかった。

ただ、だからといって、時間をかければ良い川柳が生まれるというわけではない。
時間をかけて、考えれば考えるほど、
ことばが難解になって、作品は、小難しくなっていくだけだ。

川柳を考えていた生徒たちは、
宙を眺めてなにかを考えては紙にペンを走らせていたが、
こういうことが苦手なのか、生徒の一人が、こちらに声をかけてきた。
「先生、なにも浮かびません」
「僕も」
「代わりに、なんか、考えてください」
「自分で考えな。明日までだから」
「本当に、なんも思い浮かばないんす」
「明日までに何も出なかったら、考えてあげるよ」

そして、翌日、
一晩なにも考えなかったであろうことが顔に書いてある生徒が僕のもとへやってきた。

「一日考えたけど、出ませんでした」
「だろうな」
「先生は、なんか、浮かびましたか」
浮かんでないわけではない。
むしろ、たくさん浮かんでいる。
なんだかんだ、一晩中、その川柳のことが頭にあったからな。
「歯の川柳大賞」の募集要項もチェックしたし。
要項には、「5・7・5でなくても良い」とあった。
定形じゃないくてもいい。
つまり、自由律俳句でもいい。
ということは・・・。
「こういうのは、どう?」
そう生徒に言いつつ、手元の紙に、
大正時代の歌人、尾崎放哉の歌を真似たものを書く。
”乳歯を投げる屋根がない お寺に向かう”
「なんすか、これ」
「尾崎放哉だよ」
「どういう意味ですか?」
「最近はマンションに住んでる人が多くて、
 乳歯が抜けても、屋根がないから、歯を投げれないってことだ」
「・・・。ってか、先生、ちゃんと、去年の大賞作品、読みました?」
「・・・・。」
「読んだ人に伝わんなきゃ、意味ないんすよ」

川柳は、人に伝わってこそ、なんぼ。
そう、彼は言う。
時間をかければかけるほど、簡単な表現からは遠ざかり、
作品は、小難しくなっていく。
いい作品には、素直さがなくてはならない。
今年の「歯の川柳大賞」の受賞作品も、
長い時間大人が考えた作品ではなく、
小学生が、なんの考えなしに書いた、簡単な作品が選ばれるんだろうな。
そう。
あの時の僕が書いた川柳のように。

※尾崎放哉(「入れものがない 両手で受ける」)