瞑想生活3「”聖なる沈黙”のカウンターパンチ」

誰も自分に気を払わない、
誰も自分になにも言ってこない「聖なる沈黙」に安心した僕は、

他人の目を気にすることなく、のびのびと生活していた。
普段なら「なにそれ」と言われるような、首元がダルダルのシャツも平気で着れたし、
夜、星を見ながら何十分も歯磨きして、
口から歯磨き粉がこぼれてきていても、誰もなにも言ってこない。

みんなが昼休みに散歩している中、
ひとり、美木良介のロングブレスウォーキングで変な歩き方していても、
「聖なる沈黙」の中では、誰もなにも思わない。
思っているかもしれないが、何も言ってこない。
ああ、楽。
人を気にしないって、すごく楽。

「聖なる沈黙」中は、誰も他人の行動に反応したりしない。
だが、期間中、ただ一度、僕は、人の”反応”を目にしたことがあった。
しかも、参加者ではなく、指導者の。

ある日、皆が一つの場所に集まって瞑想している際に、
一人の参加者が部屋の外に出ていった。
参加者は皆、一人ぼっちで修行している気持ちで瞑想をしているので、
誰かが外に出ても、誰も気に留めない。
ただ一人、指導者として皆の前に座っていた女性が、
それを見て、わずかに首をかしげた。
僕は、そのわずかな首のかしげの中に、
「なんで今、外にでるのかしら」
「トイレなら、先に済ませとけばいいものを」
という、彼女のこころの声を読んだのだが、
そういえば、普段の生活では、こういう、人の心を読むことばっかしてるなと気づいた。
相手の気持ちを察して、察して、先回りして。
相手のこころを慮って、慮って、配慮して。
それはそれで大事なことで、その配慮の細かさが日本人の良さでもあるんだけど、
それに影響されすぎるのは、よろしくないなと己の過去を振り返った。

10日間のうち、明らかな人の”反応”を見たのは、その一度だけで、
その他では、他人の目を気にしなくていい、「聖なる沈黙」を満喫していた。
ここでは誰にも気を使わなくていいし、
自分がどう思われたって、いい。
だれも何も言ってこないし、
だれにも何も言わなくていい。
そう思い、毎日、昼休みには、
思うままに美木良介のロングブレスウォーキングをしたり、
デューク更家みたいに、クネクネ、腰を動かしてストレッチしたりしていた。

そういう日々を続けていた4日目の夜、
あることが原因で、急に具合が悪くなってしまった。
一日12時間の瞑想生活に苦痛はまったく感じていないし、
食事も睡眠も問題なくとれているのに、
急に悪寒がして、ブルブル震えだしたのだ。
瞬間的に、
「あ、これは、風引くやつ、でも、温まって寝れば、治るやつ」だと、
僕の経験は言った。
僕は、皆が瞑想している中、一人その場を離れ、
毛布にくるまり、ブランケットを首にぐるぐる巻いて、ベッドに横になった。

そうやって数時間温まって眠っていると、
瞑想から戻ってきた同じ部屋の人達が、ちらとこちらを見ながら通り過ぎていく。
もちろん、皆、「聖なる沈黙」を守っているので何も言葉にしないが、
その目は明らかに、こう言っていた。
「昼間、ロングブレスで歩いてたやつが、寝込んでるよ」
「張り切って、デューク更家やってたわりに、体力ないんだな」
言葉にはなっていないが、視線がすべてを物語っている。
僕は、起き上がって言ってやった。いや、言いたかった。
「全然、問題ないし。これ、一日寝たら治るやつだし。
 スタミナだってあるほうだし。これは、用心して寝てるだけだし!」

しかし、「聖なる沈黙」の前では、何一つ言葉にできないどころか、
ジェスチャーを示すことすら許されていない。
あんなに素晴らしいと思っていた「聖なる沈黙」から、
ここにきて、まさかのカウンターパンチ。
伝えたいことが伝えられないという苦痛。
「聖なる沈黙」は、人からの評価を覆すチャンスも与えてはくれない。
「聖なる沈黙」は言う。
人からの評価など、気にしてはならないのだ、と。