禿げる頃に

「キリスト遺物博物館」でフランシスコザビエルの肖像画を小学生以来で見たとき、
ザビエルが予想外に禿げていないということに驚いた。
ザビエルといえば禿げの代名詞というくらい、
禿げた人として認知されているが
大人になって見ると、
頭頂部がすこし禿げているだけだということに気づく。
教科書の中の、あんな小さな禿げに喜々としていたなんて、
子どもは、ほんとに、禿げが好きなんだな。
ちなみにザビエルは禿げていたわけでなく、あの当時のああいう髪型だ。
そして、当時の日本なんかに来ることがありえないくらいに偉い位の人なのだ。

禿げは子どもに限らず、大人も笑いの種にするし、
禿げてる人が自虐的に頭の薄さを笑い飛ばすこともあるけれど、
禿げってこれからだんだん笑えなくなっていくんだろなとも思う。
禿げに限らず、チビやデブなど、外見をいじった笑いは、
現代の僕らが見世物小屋を楽しめなくなったように、
だんだんと笑えなくなっているし、だんだんと敬遠されている。
現に、背が低いことで笑いをとる芸人は減ってきている。

背が低いことを笑いにかえない社会では、
背が低い人がいい意味でも悪い意味でも、注目されない。
もしくは、注目されても、あえて気を遣って触れられない。
外見のことで人を馬鹿にしなくなるのはもちろんいいことだが、

必要以上に気を遣われることは、しんどかったりもする。
気を遣われるくらいなら、いじられたい。
そう考える人も、たぶんいる。
これからの禿げも同じ話で、

自分の禿げを笑い飛ばしたいのに、
周りが必要以上に気遣ってくれる時代がやってくると、
それは禿げにとっていい時代だろうか、それとも嫌な時代だろうか。
僕は、どちらかというと禿げたら笑ってほしいが、
どうも、自分の頭がだんだん禿げてあがってきて、
それを自分で認められるようになる頃に、

ちょうど禿げが笑えなくなる時代に突入しそうで、
なんだか嫌な予感がする。