筋肉の主体性

この社会で生きていて解せないことの一つに、
「仕事でだいぶ体を使っていても、なぜだか体が健康にならない」
という問題がある。
仕事場で、歩いたり走ったり、叫んだり、重いものを運んだり、
結構な肉体労働をしている人たちでさえ、
運動不足を訴えたり、健康を損ねたりしている人は多い。
つまり、仕事でする運動が「運動」になっていないのだ。
あんなに長時間歩いて、走って、荷物運んでるっていうのに。
これ、なぜに。
どんだけ体を使っても、仕事の運動は仕事の運動でしかないということだろうか。
運動として使う筋肉と仕事として使う筋肉は別なのだろうか。
筋肉は、何のために筋肉を動かしているか理解しているのだろうか。

そういえば、スポーツ選手は、筋トレをする時、
どこの筋肉を今、鍛えているか強く意識するという。
意識した上で筋トレするのと、意識せずにするのでは、
結果が大きく異なってくるのだという。
そういえば、ボディビルダーは、鏡の前でポーズを取る時、
自分や仲間の筋肉をちゃんと褒めてあげるという。
「背中バリバリだよー」
「僧帽筋が歌ってるよー」
「キレてる、キレてるー」
これはちょっと言いたいこととずれているが、
筋肉を意識するとしないとでは、大きく差が出るということなのだろう。
仕事として仕方なく走ったり、からだを使ったりしても、
筋肉の方に意識を集中していなければ、
筋肉も喜んで大きくなってくれないのだ。
筋肉も自分の一部。
やらされてる感があると、伸びない。
なにごとも本人の主体性を大事にしないといけないのだ
筋トレの時は、筋肉の主体性を大事に。
有酸素運動の時は、肺の主体性を大事にしよう。