生徒が先生に怒られている。
なにかやらかしたらしい。
これはなにかしら罰があるなと思い、後で先生に聞いてみると、
謹慎一週間だという。
一週間、家から出てはいけない。
家でネットも動画もゲームもできる時代、
家から出てはいけないことはいかほどの罰だろうか。
生徒が一週間家にいて謹慎という名のネット生活をしている間、
先生は、ちゃんと生徒が家で謹慎しているかどうか
毎日自宅を訪問して確認しなければならない。
先生の方が、無駄な仕事が増える分、よっぽど罰を受けている気がする。
謹慎する生徒が学校の近くに住んでいるならいいが、
もし僻地に住んでいたら、
毎日、先生は「ちゃんと謹慎しているか?よししているな」
という確認をするためだけに、家と学校を往復しなければいけない。
これが僻地ではなく、
大阪など都会から地方に部活留学している生徒の場合になると、
謹慎している生徒を確認するために、
山陰の山の中から大阪まで先生が確認のためだけに往復することになるという。
「しっかり謹慎してまっか?してまんな」
そんな確認をするためだけに新幹線に乗らなければならないとは、
謹慎とは相当コストが高い罰だ。

自宅謹慎以外にも罰は様々あって、
その方法は時代によって変わるけれど、
昔、「バケツを持って廊下に立ってろ」という罰があった。
今はああいう形の罰はあまり見なくなったが、
あれには、苦痛というだけでなく、辱めの意味もあった。
あの時代、「バケツの水を持つ」というのがどのくらい恥ずかしいことだったのかは
あまり思い出せないが、
辱めの意味がなかったら、持つものはなんでもよかったはず。
なのに、持っていたのはたいてい「バケツの水」。
「バケツの水」はどう恥ずかしかったのだろう。

僕らの時代にはすでに体罰は減少していく傾向にあって、
やられたとしても、げんこつとかケツバットとか耳を引っ張るとか
頭を叩くとか、たまに頬を張るくらいだったけど、
「職員室前に正座」とか「全員坊主」というものはまだあって、
辱めを受けさせることで、なんとか先生たちは、再犯防止に務めていた。
「職員室前に正座」させられるたびに、
こういうのを「見せしめ」っていうんだよなと思っていた。

今はそういった辱めを受けさせる罰も少なくなったが、
欧米などでは早くから「見せしめ」の罰が消えたので、
日本のアイドルが自分に罰を与えるためにいきなり坊主にしたりすると
欧米人はぎょっとしてしまう。
「坊主にしたので許してください」というのは
世界共通で理解される「許しの請い方」ではない。
欧米では法を破った時の罰でさえ、
「社会奉仕命令」などの意味のある罰が課される。
日本で社会的奉仕が罰としてあるのかどうかは知らないが
「どうせ罰を受けるなら人のためになることをしろ」
というのは、ある意味合理的である。
職員室の前に正座したとしても、誰の得にもならない。
職員室の前を雑巾がけでもしないと、人のためにはならない。

日本の学校では、体罰が限りなくゼロに近くなっていくので、
これからの罰は、「社会奉仕」的な、誰かの役に立つ罰になっていくのだろうと思う。
罰が合理的であるべきかどうかは議論の余地があるが、
反省もしてないのに「反省文」を書かせるような、表面だけ取り繕う罰より
いくらかましだと思う。