読書感想文みたいな文

 

読書感想文ってなんなんだろう。
小学生の頃からロングバケーションに入るたびに書かされていたのに、
結局、何度書いても、書き方がわからなかった。
詳細なあらすじを長々と書く合間に、
「感動した」を何度か挿入して、とりあえず、「できた」ことにしていた。
読書感想文って何なのか、最後までわからなかった。

読書感想文というものがさらにわからなくなったのは、
大学受験で、小論文というものを知ってからだ。
なぜなら、小論文は、すごくよくわかったから。
小論文は、何らかの対象について、客観的に書けばいい。
自分がどう感じたかは書く必要がないので、
「感動した」も「可哀想だと思った」も入れなくていい。
「ーである」「ーである」「ーすべきである」と、論を並べてりゃ形になる。
教科書で論説文や批評文を読んだこともあるし、
新聞や雑誌の記事も、たいてい「小論文みたいな文」だ。

それに比べて、この世には「読書感想文みたいな文」が、そんなにない。
書評や本のあとがきは「読書感想文みたいな文」だが、
小・中学生はそんなものを読まない。
エッセイやコラムも、場合によっては「読書感想文みたいな文」だけど、
そこまで自由度の高い「読書感想文みたいな文」を読ませられても、
小中学はまごつくだけだ。
僕らは、「読書感想文みたいな」手本の文を全然読まずに清書に取りかかっていたし、
そもそも「読書感想文みたいな文」は世の中にそんなに出回っていなかった。

そして、読書感想文において、最も困ったことは、
読んだ本に感動していなくても、読書感想文を書かなければいけなかったということだ。
大人が書く書評においてさえ、付き合いでしょうがなく書いている文か、
本当に心が動かされて書いているの文なのかは、読めばわかる。
それは、読書感想文も同じ。
本当に感動した本について書くほうがいい文章になるに決まっているのに、
ほとんどの小中学生は、読んだ本に感動していない。
だって、課題図書から適当に本を選んでいるんだもん・・・。
読書感想文のために本を読んでいる生徒はまだましで、
毎年、同じ本について書いている友達も、けっこういた。
どんなに感動的な本でも、何度も繰り返しそれについて感想文を書いていれば、
自然と文章は、色あせてくる。

読書感想文で県の特選になるような作品は、
たいてい、文才のある子が書いている。
それは、文が上手いので、すぐに気づく。
僕は、文が上手い子よりも、
文が下手だけど本の感動を伝える子の感想文が読みたいので、
読書感想文の本は「マンガでも可」にしてみては、と思う。
それによって読解力は下がるだろうが、
文章力は上がると思う。

惰性で書かせても、しょうがない。
文章を書こうと人にペンを持たせるのは、何よりも、

「書きたい!」というパッションなのだから。